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晶山嵐が管理しているサイト。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 晶山嵐(しょうやまらん)、イーストプレス出版社から小説を発行してます。     小説の挿絵を自分で作りたくて、2013年に3Dを本格的に始め、服や髪の毛、内装など作成。 そのメイキングのために、Create3D  サイトを作成。 こちらは『天川和香』のペンネームで活動しています。     匿名での質問も受け付けています。お気軽に! 質問には『晶山嵐』の名前を入れてください。 『みんなあて』の質問はスルーします。     ★★★★★★★★★★★★★★★★★  

寒天でおなかを綺麗にする!

寒天がおなかにいいのはわかってるんだけど、

調理するのがめんどいし、粉末寒天は割高だし……と

買ったものの結構使ってなかった。

サバのにつけのある夕食

使うときは一袋全部使うから、弁当箱一杯になるし

使ってしまうと消費期限が数日になっちゃうから早く食べないといけないし

どうやって日常的に摂れる?

 

と思っていた最近。

 

見つけました。

 

簡単に寒天を摂取できる方法!

 

 

ガムがわりに噛む!

 

そうです。

  1. 乾燥寒天を口に突っ込み、
  2. 野菜ジュースなどを口に含んで
  3. しばらく噛んでいると
  4. ふにゃふにゃになるので、
  5. 適度なところで飲み込みます。

 

口の中で膨れきらなかったなら胃の中で膨れるでしょう。

水分も少し多めに飲みます。

 

 

さっき始めてみたんですが

  • 前準備が何もいらないし、
  • ガムみたいなゴミが出ないし

いいんじゃないでしょうか。

 

しかも、かなり口の中がさっぱりするんですよ。

 

 

数日続けて様子をみてみます。

 

というか、私は生まれてこのかた便秘したことないですし

最近は下痢も無いですし、便も健康状態なので

おなかが今以上快調になったかどうかはわからないんですけど……(笑)

 

 

普通に母の食事を食べていたら、普通に野菜が多いので

普通に食物繊維摂ってるから、今で十分なのかも。

カスピ海ヨーグルトも、黒糖黒酢バナナもほぼ毎日食べてるし。

水は一日二リットル以上飲むし。

 

 

↓はある日のウチの夕食です。

サバのにつけのある夕食

野菜一杯。

 

おなかの健康が、美容にもいい!

 

 

 

 

Enjoy!&Thank you♪

2013_11_11(月) am09:51

category: ダイエット | by:晶山嵐 Ran Syouyamacomments(0)trackbacks(0) | -|
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    小説の書き方について。

    とあるサイトで↓こういう本を見つけて、アマゾンに行ったら
     
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    自分の性格を無理やり治した。

    私の家は両親とも正社員の共働きで、両方ともに夜勤があった。

    子供の頃から、食事はどちらかの親と私で二人、ということが多かった。

     

    三人で夕食を囲むことはマレで、

    私が中学生までは会社も、二人の夜勤をずらしてくれることに協力してくれたけれど

    高校生になったら一人で寝れるだろう、とその手間を省かれたらしい。

     

    私が下校しても、明日の昼まで両親がいない、ということがザラにあった。

    まずいお刺身とゴボテンのある夕食

    私はそれが当然の家で育っているから

    テレビドラマの生活が不思議だった。

     

    子供が帰って来たら、必ずお母さんが迎えてくれて

    毎晩お父さんが帰宅する。

    それが『普通』だと知らなかった。

     

    しかも、その当時は共働きというのは珍しかったので

    親戚の集まりに行くと必ず

    「お母さんが家にいないなんてかわいそうに」と言われた。

     

    共働きだからうちの家はけっこう裕福で、

    母は父に出す小遣いで悩んだこともないし、しょっちゅう旅行に行くし

    ごはんは美味しいし、

    なにが『かわいそう』なのか、子供の頃はわからなかったし

    大人になっても、勝手に他人をかわいそうがるな、と憤慨していた。

     

    母は人との付き合いが苦手なので、私が友人を家に呼ぶのも嫌がったし、

    誰かが遊びに来たら、一切顔を見せない人だった。

    それが普通だった。

     

    その当時、一番私が遊びに行く家もそうだった。

    一切、両親は出て来なかった。

    ただ、その家の応接間でパソコンゲームで遊んでいると、必ずそこに『おじさん』がいた。

     

    子供たちがわいわい騒いでいるのに、パジャマにガウンで、ソファーに転がっている。

    挨拶もしなければ話しかけてもこない。

    変わった人だなぁ。お父さんは仕事中だと言うので親戚の人かな、と思ってたら

    実は幽霊だったと、数十年してから発覚した。

     

     

    そんなだったから、

    子供たちが遊びに行くと、ご馳走を振る舞ってくれる家が不思議だった。

    申し訳ないので、行かないようになった。

    子供と遊びにいっているのであって、お母さんに手間を掛けさせるのは辛かった。

     

     

    うちの家は、中元歳暮も関係ない家だった。

    『義理ゴト』ということを知らずに育った。

    『義理ゴト』が大事なのだと、30歳前になるまで、私は気付かなかった。

    本当に、申し訳ない。

    まったく『知らなかった』から、直すも直さないもなかった。

     

    ちさろうの家に遊びに行ったときに、ちさろうのお母さんが言っていたらしい。

    「あの子はウチに遊びに来て、私たちに挨拶に来ないね」と。

    ウチの家では、母は子供たちにノータッチだったから、挨拶に行かないのが本当だと、思って育ったんだ。

    その辺が、すっぽり抜け落ちていたことを、その時に初めて気付いた。

    とても、恥ずかしかった。

     

    人に何かを渡す時に、『ちょっと包んで渡す』という礼儀も知らなかった。

    他人に気を使う、というのが、何をすればよいのかわからなかった。

    その時はネットどころか、コンピュータ自体、民間のものではなかったし

    テレビでそんなことをやっているのを見つけられなかったし

    そのことに関して、本を買うお金を捻出する心づもりはまったくなかった。

     

    自分が確実に、社会人として欠格している、と気付いたのは

    やっぱり、ちさろうと知り合ってからになる。

    それまで、そんな深い友人がいなかった。

     

    学校の友人は、年度が変わり、クラスが変わると疎遠になり

    そのクラスの子と仲よくなる。また来年には疎遠になる。

    それを、変だとも思わなかったけれど、

    来年別れるのなら、今年仲よくしなくていいや、と

    友人を作るのを面倒臭がる性格でもあったので

    年度を越えて付き合える友情を育てることがなかった。

    そこまでの人格がなかった。

     

    他人を重要だと、思っていなかった。

     

     

    そんな私に、「だめだよ」と教えてくれる人もいなかった。

     

    お一人だけ、私の小説について駄目だしをしてくださる人が

    読者さんの中にいてくださって、

    本を出すたびに編集さんのように修正案をいただいたのだけれど、

    その時の私は、バカだったからそれをうっとうしいと思って大事にしなかった。

     

    今こそ、その人の存在がほしい。

    私の小説に駄目だしをしてくれる人がほしい。

    のどから手が出るほどほしい。

     

     

    結果は売上でわかる。

    面白ければ売上はあがるし、面白くなければ下がる。

    けれど、小説の細かい修正は、それではできない。

     

    私は、『文章』を本格的に勉強したことが無い。

    三流商業高校の高卒で、国語の古文すら授業になかった。

    前にも書いたように、小説に関する本を読んだことも無い。

    ヒトサマの小説も滅多に読まない。

    そしていまさら、小説の解説書を読む気も無い。

     

    ただ、商業誌を誘っていただいて『赤狼』を出した後

    Just Right!という校正ソフトを使って初めして知った

    私の、乱暴な単語使い。

    なんて無造作に言葉を使っていたのかと、愕然とした。

     

    よくこんな状態の文章を書いた奴をスカウトしてくださったな、と

    編集さんに感謝した。

    そこで誘ってもらわなければ、私は今も、Just Right!を知らず

    めちゃくちゃな文章を書き続けていただろう。

    今より、もっと劣悪な文章を。

     

     

    小説についてはどうでもいいけれど

    『日本語』を勉強したい、とは、思った。

    でも、どうしたらいいか判らないまま、棚上げにして今に至る。

     

    文章の教室があるというので、通ってみようかな、とも考えた。

    今もやってるならアクセスしてみようかな。

     

     

    そのほかにも、同人をしているとき、何度か『手を組まないか』と言われたことがあった。

    私は一人になれていたので全部大事にしなかった。

    あの時、手を組んでいたらどうなっていたのかと、たまに思うことがある。

     

     

    同人も私生活も知っている

    ちさろうの存在は、私の中で、とても、大きい。

     

    家族以外の他人が、自分以上に大事だと教えてくれたのは、彼女だ。

    それまでの友人も大事でなかったわけではないけれど、

    誘ってもらうことのありがたみもわからないから、ちょっと気分が悪いとドタキャンし続けた。

    それでも誘い続けてくれた彼女たちに今は感謝しかない。


     

    私は自転車でアチコチ行くのが好きで、

    子供の頃から、日曜日ともなると往復20キロほどうろうろしていた。

    その時に、悪い癖があったのだ。

     

    自転車のペダルを漕ぐタイミングを、他に合わせないと気が済まない、という癖。

    たとえば、柵があったら、その柵の軸に右足の踏み込みをあわせなければいけない

    道路を走っていたら、中央の白線の始まりの位置に、右足の踏み込みを合わせなければいけない

    脅迫神経症に似たものだったと思う。

     

    今思えば、それがいやだから、それが無い場所……田舎の方まで走っていたのではないだろうか。

    私の近所のみんな『柵』がどこかしらにある。遠くには無い場所の方が多かったから。

     

    その癖に、小学校高学年の時に気付いた。

     

    「なんで私は、柵なんかに私の行動を合わせているの?」

    自分で自分に問うた時、私の回答はこれだった。

    「だって、怖いやん」

     

    自分の答えが不思議だった。

    何が怖い?

    柵や白線がかみついてくるわけでも無いのに。

     

    その時、幼いころに影におびえて泣いたことを思い出した。

    小学校に入る前、タンスの上に影が出ていて、それが怖くて火がついたように泣いたのだ。

     

    両親はおぼえていないらしい。私もなぜ思い出したのかわからない。

    数年前、そのことを思い出して、ふと気付いた。

     

    それは夜だった筈だ。

    照明は天井に裸電球が一つ。

    電球の位置はタンスより高い。

    どうして、タンスの上に影ができた?

     

     

    とりあえず、それは考えても仕方がないので放置して

    自転車のことを考えた。

     

    柵に合わせて自転車を漕ぐ方が危険だ。

    自分のペースで漕いでいないと、咄嗟に方向転換するときに力が入らない。

     

    柵も白線も、私にかみついては来ない。こんなことに意味はない。

    自分に言い聞かせて、そのあとしばらくして、気にならなくなった。

     

     

    中学生の頃、指の皮をむく悪癖が出た。

    ささくれを引っ張って剥ぐとか、そんなかわいらしいことではなく

    指の白い部分から指の腹に向ってべりっと剥いでしまう。

    血が出ることはまれだけれど、指先はいつも薄皮一枚向けた状態だった。

    全部の指がそれで、ペンを持つのも痛かった。

    自傷行為なのだろうと思う。

     

    5ミリ角以上の大きさで剥けると、なんか嬉しかった。

    頭がおかしかったと思う。

     

    中学三年生の時あたりに親にばれて、家族会議されて

    泣かれて、なんとか『しないように』してたけど

    高校を卒業するまで断続的に続いていた。

     

    中学一年の時から高校一年の時まで軽くいじめにあっていたのも一因かと思う。

     

    高校を卒業してからは、爪を伸ばしてマニキュアを塗ることで、

    爪が長すぎて皮を剥けない、という状況を作ることで回避した。

    今では、まったく無くなった癖だ。

     

     

    これらよりは軽いけれど、もう一つの悪癖は

    「コレクション気質」がある、ということ。

     

    手芸が昔から好きだったから、いろんなことをしていた。

    友人のお母さんが簡単なペーパードールを作る人で、

    それを教えてもらったのが、最初の手芸だったように思う。

     

    中学校の夏の宿題で、『なにかを作ってきなさい』というのがあった(笑)

    一年の頃に、リカチャン人形にかぎ針編みで、ベルサイユ時代みたいな

    ふわっとしたロングドレスを着せて提出した。

    二年の時は、張り子でツタンカーメンのお面を作った。

    三年の時は、『地図を描け』とかいうお題だったので、マルカイテチョンを出した。

    凄く立派に世界地図を模倣していたこの作品が輝いていたのをおぼえている。

     

    リカチャン人形に服を作るためにいろいろ布も買った。

     

    その布を買う時の理由が

    「綺麗だから」だった。

     

    そして『綺麗だから』使えなくて、摘み上がって行った。

    年月がたってそれは色あせ、価値がなくなった。

    価値はなくなったんだけど、それで服を作るとか、そういう気にもならなかった。

    『綺麗だから』買ったときの感情が抜けなかったんだ。

     

    それが母に見つかって

    「こんな所にいい布あるやん」と、ぱぱっとリカチャンに服を作ってくれた。

     

    『綺麗だった』布が壊れた。

    あのときの衝撃は今でもおぼえている。

     

    そして、その時に、柵に踏み込みを合わせていた子供の頃のことを思い出した。

     

    「服を作るために買ってきた布なのに、なぜ私は服を作らなかったの?」

    「綺麗だから」

    「でも、服を作るために買ってきたんでしょう?」

    「でも、綺麗だから、手をつけたくなかった」

     

     

    その少し前、

    まだ下水道が整っていなかったころ。

    トイレ自体は水洗だけれど、浄化槽に溜めるタイプだった。

     

    母は二枚つづりのトイレットペーパーを見つけていそいそと使っていた。

    それがまた、ふわふわで、子供心に天国にいるように気分にさせてくれるものだった。

    私はトイレに行くたびに、それをくるくる巻き取って、部屋に持って上がった。

     

    何をするわけでもない。

    『綺麗だから』『とっておいた』のだ。

     

    トイレに行けばいつでもあるのに。

     

    そのあと、浄化槽のくみ取りに来た人から母は言われた。

    このトイレットペーパーは溶けないから使わないでくれ、と。

    簡素な一枚の硬い紙に戻った。

    カサカサしていた。

     

    ああ、あの天国の紙をたくさん取っておいて良かった!

    と、巻き取っていた紙を取り出してみたら

    経年変化でごわごわになっていた。

     

    『綺麗だったのに』……

     

    そして、『何をするものでもない』のに『保管』していた。

     

    リカチャンの服の話しに戻って、

    母に、『綺麗だった』布を服にされた時、このトイレットペーパーを思い出してもう一度出してきた。

    もう、『綺麗だった』面影なんて全くなかった。

     

    ようやく、捨てられた。

    そして、『綺麗だから』買ってきた布を、全部服やら鞄やらに作り変えた。

     

    『綺麗だけど色あせた』ものが『有用なもの』に変わった。

     

    今思えば、それらは

    『美術品』でも無ければ、『見るため』でもないのに

    『綺麗だから』置いておいた『ゴミ』だったのだ。

     

     

    『捨て屋さん』という職業がある、とネット上で知った。

    捨てられない顧客の元に赴いて、「これは不用品なのだ、捨てましょう」と解き諭し

    『納得』させて捨てさせるための教師のような役目をするのだと言う。

     

    その時、例に出ていたのは

    『パッケージを捨てられない』女性だった。

     

    テレビを買ったり、ゲームを買ったりすると、商品を包んでいる外装の箱。

    それが捨てられなくて、倉庫をかりて保管していたらしい。

    「だってこんなに綺麗な箱なのに!」と彼女は捨てることを拒否したらしい。

    けれど『捨て屋さん』を雇ったのも彼女なのだから、それがゴミなのだとどこかでは気付いているのだろう。

    たしか、二年掛けて全部捨てられ、倉庫を解約できたと書いていたように思う。

     

    私も、似たような状態だった。

     

     

    そして、その寸前にたしかこの本が出てた。

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    私は、これを読んで、泣いた。

     

    あ、私は病気だったんだ、って、気付けたことが嬉しかった。

    それをちさろうに言ったら

    「あれは、こんな人より私はマシでよかった、って安心するための本じゃないの?」と言われた。

    「らんちゃん、こんな状態でがんばってたんやね。大変やったね。

    編集とかできへんの、それちゃうん?」と言ってくれて、尚更泣けた。

    今思い出しても泣いてる。

     

    子供の頃から、通信簿に『忘れ物が多い』と書かれ続け

    部屋はちらかり続け、ゴミの上にゴミが積み上がってわけのわからない状態だった。

     

    タンスとかに『しまって』しまうとそれは『無い』ものと認識して新たに買ってくるから

    オープンスペースにしか収納できないことを中学生の頃に気付いていた。

     

    二十歳をかなりすぎても部屋は汚いままで

    今でも『綺麗』ではないけれど、柔軟体操をできる程には床は『常時』見えている。

     

    『掃除の極意』は

    スケジュールに『掃除をする』と書かないこと。

    本を縦にする。

    本を棚に戻す。

    机の上のモノを箱に入れる。

    机を綺麗にする。

     

    こんなふうに細分化して部屋の一カ所一カ所について処理していくと、

    いつのまにか掃除はできている、というもの。

     

    これに出会うまで、床なんて見たことなかった。

     

    ラジオ体操ができるだけの床を出すのに三年掛かった。

    今も未だ、部屋のぐるりをゴミが囲っているので、ちょっとずつ片づけている。

    それでも、畳の上に床板を置けるぐらいに綺麗になった。

     

    別に部屋が散らかっていても落ち着けるし、炭水化物のゴミは無いから虫がたかるわけでもなし

    何が『汚い』のか、わからなかった。

     

    けれど、床が見えて初めて、私は

    「あの散らかっている部屋」が嫌いだったんだ、と気付いた。

     

    どうしようもできないものだと思っていた。

    わすれものばっかりだし、ちらかしたらかたづけられないし

    事務仕事はできないし

    なんて何もできないんだろう、と自分を攻めるのがイヤで

    小説を書くことに没頭していたんだと思う。

     

    何もできないわけじゃない。

    私には小説がある。

    それで食べて行けるだけの才能がある。

    何もできないわけじゃない。

    何もできないわけじゃない!

     

    私は今、床の見える部屋で生活できている。

    まだ積み上がっている本はあるし、死蔵品を捨てたいとか思いながらも

    生活圏は綺麗にできている。

    二十年前よりは進歩している。

     

     

    昔、引っ越したときに気付いてたんだ。

     

    引っ越した当初は何もないから、毎日掃除機を掛けていた。

    シーツも毎日選択していたし、綺麗なことが気持ちよかった。

    それが、修羅場に入った瞬間、掃除機をかける心理的ゆとりが無くなって、

    二週間で足の踏み場が無くなった。

     

    今思えば、なんであんなに散らかすことができたんだろう。

     

    それからは、もう、床は見えなかった。

     

    その時に、気付いてたんだ。

     

    私は、綺麗な部屋を維持する能力はある。

    ただ、『片づける』能力が致命的に無いだけだ、って。

     

    片づけたり、掃除したりするのはどうしたらできるのか

    本を買ったり、ネットを検索したりして、ようやく見つけた。

     

    一気にどばっと掃除しようとするのではなく、

    毎日ちょっとずつすればいいのだ、ということを。

    掃除をできている人は、息をするようにできているこのことが

    気付かなかったし、できなかった。

     

    毎日一つ、モノをすてたら、一年で300個以上のモノが捨てられる。

    紙や本は重ねて積み上げたら、専有面積は小さくなる。

     

    わかっていたけれどしなかったことを、一つずつ実行して行った。

     

    自分の負担にならないように。

    もう次はしない! というような重労働にならないように。

     

    三年たって、床が見えて

    十年たって、寝ころがれるほどになった。

     

    ようやく、ここまで、来た。

     

    綺麗にするだけなら一週間あればできた。

     

    けれど、それを『維持する』能力を育てなければ、

    また、その一週間の掃除労力が必要になる。

     

    少し片づけては、その『片づけた』行動を習慣化するようにした。

    今、見えるようになった床は、今後二度とモノを置かない。

     

    一カ月に一カ所ぐらいずつ。本一冊分ぐらいの幅を綺麗にしていった。

     

    一カ月の間、この本一冊分の見えている床を維持する。

    来月はもう一冊分。

    今は、床全面が綺麗な状態をもう三年以上続けている。

     

    そして、ちょっとずつ、捨てている。

    捨てている間は、モノを買わないようにした。

     

    どうせゴミになるから。

     

    おかげでお金もたまった(笑)

     

     

    ここ数年、服なんて下着以外、一枚も買っていない。

    下着も、破れた分を買い足しただけ。

     

    まぁ、パソコンにお金をかけているので、たまった、ったって

    パソコン用品に消えていくけれど(笑)

    パソコンにお金をかけると、処理速度が上がって

    結果的に何もかもが早く終わるから、気持いい。

     

    パソコン自体が、50万円弱している。

    昔から、その当時カスタムできる最高メモリを積んだマシンを買い続けている。

    メインは小説の癖に、フォトショでの待ち時間は少ない方がいいから。

    たかが一カ月に一度使うか使わないかのフォトショのために、最高マシンを買い続けていた。

    唯一の贅沢と言ってもいいのかもしれないので、そこは後悔していない。

     

    そして、そのマシンに今、

    50万円のMayaというソフトを買おうとしている。

    フォトショでもPhotoshopCS6Extendedなの手、14万円ほどだったと思う。

    こないだ買ったZBrushも9万円。

     

    Mayaは、桁が違う……(笑)

     

     

     

    私は多分、大きな買物をするたびに過去を振り返ってるんだろうな、と

    ここまで書いて気付いた。

     

    今までしてきたことから考えて、この大きな買物をするのは良いのか悪いのか、と。

     

    私はやっぱり、自分の『作業環境』は『速さ』を追求したい。

    お金をかけて手間を省けるのならば、お金をかけたい。

    そのために飢えてもいい。

     

    ベンチマークの1%に一喜一憂するほどではないし

    自分のマシンが他のマシンに比べてどれだけはやいのかとかは知らないし、興味もない。

    私のストレスが少しでも少なくなればそれでいい。

     

     

     

     

    3dを本格的に初めて、ようやく一年ちょっと。

    去年、初めて『Maya』というハイエンドソフトがあることを知った。

    その当時は、買うことなんてまったく考えられなかった。

    Daz Studioでも使い切れていないのに、高いのを買っても仕方ない、と。

    それが、一年、いろいろ3dのアイテムを作っていて思った。

     

    これではできないからあのソフトでできないか?

    なら、そっちに持っていくための出力は何でしたらいい?

    FBXでやっても小物の位置がずれるよ?

    Blenderっていう無料で高機能のソフトがあるらしい。

    使ってみたらなんでもできそうだけど、ショートカットが私のマシンでは効かないよ(T_T)

    ZBrush買ったら、同じことをDaz Studio4.6で下より十倍の速さでできたよ。

     

    ああそうだ。

    私がフォトショを使い続けているのも、

    いろいろソフトを渡り歩く面倒臭さを軽減するためだった。

     

    絵に関することならフォトショで全部できる。

    この、『安心感』。

     

    フォトショでできないこともあるけれど、そんなことは微々たるモノだった。

     

    3dソフトでも、Shade、マイホームデザイナープロ、Shadeドリームハウス、メタセコ、Hexagon、Carrara、Bryce、Daz Studioと買って

    ようやくZBrushに出会った。

     

    ものすごい速さで立体が作れるソフトなんだ。

     

    Shadeもはやいと思ったし、Shadeが得意な分野とZBrushが得意な分野は間逆なので、ちょうどいいと思った。

    そこで、Mayaを思い出した。

     

    私は、映画を作りたい。

     

    少し前は、私の小説が映画の原作になればいいと思っていた。

    ハリウッド映画の原作になるような小説を書きたかった。

     

    今は、自分で映像を作れるのなら、自分で映画を作りたい。

    そう思うようになった。

     

    そのちょっと前は『ゲームを作りたい』と思っていた。

    だって、あんなに簡単にゲームが作れるとは思ってなかったから。

    けれど、私が作りたいのは『ゲーム』ではなくて

    『動いていく映像』なんだ、ということに気付いた。

     

    サウンドノベルを考えた。

    けれど、Daz Studio4.6では簡単に動画を作ることができる。

     

    それにはまず、自分のキャラを作らなくちゃいけない。

     

    赤狼のル・アさんから作ってみた。

     

     

    動かせるようになった。

     

    髪の毛も作っていく。

    服も作っていくけれど、暫時でも、ずっとでも

    DAZでアイテムを買えるので

    外注するより安く部品を揃えることはできる。

    独占使用ではないけれど、YouTubeで無料公開する映画だから気にしない。

     

    こういうことをしていると

    Daz Studioだけではできなくなって、いろんなソフトとの連携が必要になって

    あちこちファイルで渡り歩くぐらいならMayaを買ってしまった方がいいんじゃない?

    ということに思い至った。

     

    50万円のソフトだけれど

    私はあと50年生きないんだよ。

    50万円はすぐに稼げるけれど、『検証』で使った時間は返って来ないんだよ。

     

    Mayaでだめなら、今はできない。

    っていう、『あきらめ』がつくじゃない?

     

    Mayaを買わなかったら、永遠に

    『Mayaだったらできるかもしれないのに……』と心のどこかでちらつくことになる。

    それは、凄く、凄く、凄く……ストレスになるだろう。

     

    Mayaの体験版を使って、ショートカットも効くし、Daz Studioで使えるアイテムは全部Mayaに持ち込めることも確認した。

    今まで、Daz Studio4.6のために買ったアイテムは、何一つ無駄にはならない。

     

    なら、何を悩む必要がある?

     

    Mayaを習得するのは難しいよ?

    勉強すればいいじゃない。

     

    私は、今まで、自分の望む方向に自分を変えてきた。

    悪癖を治し、部屋を綺麗にして、私がしたいことをできる環境を整えた。

     

    初めてのことが手間取るのは当然のこと。

    Mayaは高級ソフトだけあって、チュートリアルが充実している。

    そして、私には、英語のDaz Studio4.6をある程度まで使いこなしているという自信がある。

     

    英語を、乗り越えたんだよ。

     

    なんでもできる。

     

    私が『したい』とさえ思えば

    私はなんでもできる。

     

    私はそうやって、今まで生きてきた。

    勉強するのは好きだ。

    新しい技術が好きだ。

    まず、CGが好きだ。

    子供の頃から、NHKの番組で使われるCGとかを見るのがとても好きだった。

     

    そして、子供の頃の夢の一つ。

    『私好みの人形を作る』

    それが、今、実現されている。

     

    そして、小学校の卒業文集に書いた将来の夢。

    『クリエイターになる』

     

    子供の頃の夢は二つとも、実現されている。

     

    もう一つの夢『デザイナーになる』も、自分で服を作ったり、家を造ったりするのなら

    結局はかなえられることになるだろう。

     

    私は夢をかなえたのだ。

     

    ならば、新しい夢を描けばいい。

     

    私は映画を作りたい。

    それで楽しんでもらいたい。

    私の作るものでハラハラしてもらいたい。

    私のつくるものでドキドキしてもらいたい。

     

    私のつくるもので、感動してもらいたい。

     

    結局は、それなんだ。

     

    手段はなんでもいい。

     

    現時点でも、Daz Studio4.6のチュートリアルなどをブログにアップして

    助かりましたありがとう、とコメントをいただけるのもとても嬉しい♪

     

    ヒトサマの役に立ちたい。

    ヒトサマに楽しんでいただきたい。

     

    そして

    私が、それを、創り出したい。

     

    私にはその夢があったから、『片づけられない女』であることを乗り越えることができたのだと思う。

    一芸に秀でることができたから、他のことは『自分に対して』目をつぶれた。

     

    今、片づけることもあらかたできるようになったのだから、もっと高見を目指そう。

    Mayaを軽々使えるようになって、普通に、何気なく映画を作れる状態になる。

    第一段階の夢。

     

    それで収入を得られればなおいい。

    他でも収入を得られればなおいい。

    現状でも食べては行けるから、これをどんどん増やしていくだけの話し。

     

    去年、同人をすっぱりやめたとき、決めた。

    三年間は修行の年にする、と。

     

    それがあるから、この三年は収入がなくてもいいと思っていた。

    けれど、小説を書いていたときの財産も残っているし、収入源は確保できた。

    大体、小説をやめるわけではない。

     

    武士は食わねど高楊枝、というけれど

    貧すれば鈍するんだよ。

     

    私は、二度と、借金取りの電話におびえる日々はイヤダ。

    掛かってくる電話は、私への仕事のオファーと友人だけでいい(笑)

     

    お金は、必要だ。

    収入は、必要だ。

     

    それを固めて、さらに上を目指す。

     

     

    今思い出した。

    このブログのタイトルに『電子出版』を挿れたのは

    3dで挿絵をつけた小説を電子出版する気だったんだわ。

    そのノウハウというか、メイキングをこのブログにアップするつもりでこのタイトルしたんだ。

     

    今は、その、挿絵をつけるための3dの勉強をしていて、こっちには日記しか上がってないけど

    『日記ブログ』だからそれはいいだろう、と自分に言い訳をしている。

    BL作家っていつの話だよ、って感じ。

    いや、BLは今後も書くけど、ここ一年まったく作品出してないし書いてない。

    今は3dに必死。

     

    3dソフトで『何ができるのか』を検証するのに一年かかったと言ってもいい。

    けれど、それはもう、完了した。

    ZBrushでキャラクターや服を作る手順もわかった。

    今は、Mayaの操作をおぼえて、慣れて、作っていくだけ。

     

     

     

    世の中には『ジャネーの法則』というものがあるらしい。

    年をとれば取るほど、時間を短く感じる法則だという。

     

    私は、ここ数年、毎日毎日が長くなっているのに(笑)

     

    それは、年をとれば、ではなく、

    『新しい経験をしない時間が長ければ』なのだと思う。

     

    すでに経験したことだけを繰り返すから、面白みが無く、

    ルーチンとして行動を流してしまうから『おぼえていない』ため

    時間を短く感じてしまうだけだ。

     

     

    私はここ一年でも凄く、毎日、勉強し続けた。

    毎日新しいことをしているから、『同じ経験』を繰り返すのは生活のことだけで

    毎日が、凄く、長い。

     

    数年前でもそうだった。

    たしかに過ぎてしまえばはやかったかもしれないけれど

    振り返れば、年間30冊本を出していた。

    決して、『何もしていない』のに『時間が過ぎた』わけではない。

     

    私は、以前からその癖があった。

    『何もしていない』ことが恐怖だったんだと思う。

     

    自転車を漕いでいるときに柵に動きを合わせたのも

    「何も考えずに漕いでいると、頭の中が空っぽになる」そのことが怖かったのじゃないか?

    この記事をここまで書いていて、初めて思った。

    強迫観念とか何かじゃなく、

    『何もしていない状態』がイヤだから、『何かするように仕向けた』んじゃないだろうか?

     

    現に、柵を気にせずに走るようになると、危険運転に向ったんだ(笑)

    坂をブレーキをかけずに曲がってみたり、とか、漕がずにどこまですすめるかとか

    今でも思い出して怖くなるのは

    千里の山のてっぺんから、ノーブレーキで麓まで下りた、ということ。

    よくもあの時、飛び出しとかなかったものだと震え上がる。

     

    その時は、できたんだよ。

    ノーブレーキで20分ぐらい走り続けて、最高時速は40キロを超えてた。

    (私の自転車には変速と、速度メーターがついてた)

    よくこけなかったし、障害物がなかった。

     

    降りてきてはじめて怖くなって、二度としてない。

    あれ以来、危険行為ができなくなった。

    子供の内に、怪我をしないうちに、ヒトサマに迷惑を掛けない内に

    気付けて良かったと思う。

     

    今では裏路地に入るのも怖い(笑)

     

     

    思えば私は『自分と競争』してきたんだな、と思う。

    一人っ子だったのもあるんだろう。

    ただ、小さいころは保育所にいたし、学童に入っていたし、人見知りしなかったので

    旅行でどこに行っても、即座に隣に座った見ず知らずの子供とはしゃいでいたらしい。

    母が今でも言う「私がアッチむいてコッチ向いたら、もう隣の子と友達になってた」と。

     

    一人にしていたら、永遠にその場に座り込んで地面に絵を描いているし

    目を離しても何も危険なことがなくて、育てやすかった、と。

     

    私は『放置された』と思ったことは一度も無い。

    一人なら一人で遊ぶ術を知っていたから、『寂しい』と思ったことも無い。

    他人に足並みを揃える方が面倒臭くて、一人で行動する方が簡単だった。

     

    いつも一人でいる私を、先生方は気にしてくださって、誰かと一緒にいろとか

    お昼ごはんこの子と食べなさいとか言われるぐらいではあったらしい。

    いや、あのですね、先生……

     

    友達がいなくて一人でいる子を連れてきてもらっても、楽しくもなんともないんですよ。

    というか、苦痛です。

     

    一人でいたら、自分の思考にはまることができるのに

    人が目の前にいると、そのことつまらない話しにあわせなきゃいけない。

    どっちも趣味が合わないから天気の話ぐらいしか無い。つまらない。

    しかも、その子は、愚痴しか言わない子だった。

     

    最初は遠慮してたらしいけれど、慣れてきたらぺらぺらしゃべり始めたのはいいけれど

    一分一秒他人に対する愚痴だった。

     

    他人の愚痴に付き合うほど地獄なんて無い。

    無視していたらそのうち別の子の所に行ったのでホッとした。

     

    誰かと一緒に居ない子は『かわいそう』って思うのをやめてほしい。

    一人で幸せな子もいるんだよ。

     

    高校で同人を始め、小説を書き始めた。

    もう、他人は邪魔だった。

     

    就職しても、昼食を一人で取って、ずっとプロットを描いていた。

    それを営業の人に見つかって(笑)その人がなんか言ってくれたらしい

    女の子たちに昼食や就業後の喫茶店を誘われた。

     

    愚痴大会だった。

     

    二度と捕まるもんかと必死に逃げた。

     

    私は多分、子供の頃から一人だったからか

    『しゃべってストレスを発散する』という脳の構造ができてないんだと思う。

    脈絡無く、解決策も見つけず、ただしゃべっているのは苦痛以外のナニモノでも無い。

    解決策を呟くと怒るんだから始末に終えない。

     

    もちろん、好きなことに関して話すのは好きだけれど、

    話すより、私の知らないことを話してくれる人の話を聞いている方がいい。

    ……って、長電話で映画一本分話したり、よくしたけどね(笑)

     

    とにかく、私のほしい知識以外の会話は、苦痛だった。

    近所の人がどうだったとか、興味無い。

    母との会話が一番苦痛だったと言っても過言ではない。

    父は、母の会話をとてもよく聞いている上に、おぼえているのが凄い、といつも思う。

     

    母と会話していると脳が溶けそうになる。

    仕事の話をされるのも苦痛だ。

    興味無い上に、同じことを壊れたテープレコーダーのように延々としゃべり続けるのを聞いているのも辛い。

    母にとっては、昨日したとと今日したことだから、毎日違うと思って話しているけれど

    昨日も今日も同じことをしているから、しゃべることも一緒になる。

     

    とくに、母は今、介護の仕事をしていて、認知症の人に当たっているので、

    仕事の話しというとそれになる。

    以前は、担当が何人もいたので、毎日同じ話ではなかったけれど

    いまは仕事を減らしているので、担当が一人か二人っぽい。

     

    毎日同じことをする認知症の人の話を母も毎日話すので

    私は毎日、すん粉違わず同じ話を聞いていることになる。

    それがいやで、母と一緒に行っていた散歩も行かなくなってしまった。

    私の頭がおかしくなりそうだった。

     

    って、ここでこんなことを読まされているあなたも辛いよね、ごめんなさい。

     

    回避策は見つけてるんだよ。

     

    ああ、私は今、母の悩みを聞いている神父さんの気分だ。

    聞けば聞くだけ、私の徳が上がるんだ。

     

    そう思うと、楽になる。

    母の話は、あくまでも『生活の一から十まで』をしゃべっているだけで

    『愚痴』ではないからまだまし。

     

    いろいろ本とかを読んで

    • 女の人はしゃべることでストレスが発散できる。
    • 解決策を示す必要は無い。
    • 頷いてあげるだけでもいい。

    ってのを聞いて、もう黙って聞いていることにした。

     

    誰に話しても同じことなら、できれば私には話してほしくはないけれど

    母には私しか居ないときがあるから、母は仕方ない。

    私の母だから。

     

    でも、こっちで必死でMayaの勉強をしているのに、洗濯に上がってきたときに

    相槌を求めるのはやめてほしい(笑)

    だまって聞いてるけど、ほとんど聞こえていないのに、ずっとしゃべってる。

    相槌をうたなくてもしゃべっているので、それでいいのかと思ってる。

    たまに「で、どうすんの?」と言われて「もう一度言って?」ってことにはなるけれど

     

    たまに、とても『聞いてほしい』時があるらしく、パソコンを終了させてリビングに降りる。

    大体は、「父が黙って何かを買ってきた」とかだったりする。

    「私はこんなに倹約して、三枚千円の服を買ってるのに、二万円の服を買ってくる!」

    とかで怒ってるらしい。

     

    安いので平気なら安いのを買えばいいし

    いいものが欲しければ高いものを買えばいい。

    共働きだから、両親の財布は別なので、

    父の稼いだ分の、父の自由にして良い分は父の好きにしたらいいとは思う。

     

    ただ、それで、「金がない」からそれができない、ということが父には往々にしてある。

    それが、母の勘に触るらしい。

    私の勘にも触るので、言わないように言い続けて十年あまり、ようやくネガティブ発言が減ってきた。

     

    前方が曇っていると

    「俺が行くころには雨が降るやろうなぁ」と言う。

    実際に雨が降る。困って毒づく。

     

    私も、子供の頃は雨女だった。

    私が生まれた日は小雨だったらしい。

    母にも、「私とどっちかだけだったら晴れるのに、あんたら二人いると負ける!」と言われてきた。

    母は典型的な晴れ女で、母が外にいるときは雨が止む。

     

    逆に、雨が強くなってくると、父が「ヒャーッ!」と帰って来る。

     

    昔の知人にも、「一日に一分しか降っていない雨に濡れる」と自慢げに言っていた雨女がいた。

     

     

    雨男雨女って、なんであんなに「自分がいると雨が降る」と『自信』を持っているのか、と思う。

    いやなら、「降らないで!」と祈ればいいのに「どうせ降るよ」と言って実際に、降る。

     

    私は、自分の雨女はイヤだったので、ある日

    「晴れて!」と祈ってみた。

    降った。

     

    次の時も「晴れて!」と祈った。降った。

    「私が屋根の下から外に出ているときだけでもやんで!」と願いだした。

    何回かに一度は止むようになった。

     

    今では、私は晴れ女だ。

     

    私のBL小説同人の『悪魔の恋人争奪戦』でも書いているけれど

    雨男雨女、とか、晴れ女晴れ男、ってのは

    昔は、雨乞いとかした人たちの子孫ではないかと考えている。

     

    自分の思考で天気を左右できる能力を持っている人だと、考えている。

     

    なぜなら

    雨男晴れ女で無い人たちは『自分の存在で天気が左右できる』と考えていない。

     

    自分の存在で天気を左右できる。

    これって、今なら超能力でしょう?

     

    雨男雨女の人たちは、それを『負の能力』だと思っているにも関わらず

    自慢げだ。

    (うちの父は心底嫌がっているけれど、雨が降ることに自信がある)

     

    なぜ自慢げなのか。

     

    昔は、雨乞いのために役に立った能力者だったから、その自信があるんじゃないの?

    と、思った。

     

    昔って言っても、雨乞いをしていたのなんて、数十年前のことなんだよ。

    数百年も前のことではないんだよ。

    まだ、その能力は厳然としてあるんだと思う。

     

    そして、

    私が雨女なら、私の存在で天気は変わるんだから

    じゃあ、晴れになれ! って願えばかなうんじゃないの?

    と考えた。

     

    実際、かなった。

     

    現在の私は、滅多に雨に降られることが無いし

    雨が降ってても小やみになる。

     

     

    『信じる』こと。

    『願う』こと。

    この二つで、『自分』はいくらでも変えられる。

     

    現状に不満なのなら、

    現状に不満の無い自分になればいい。

     

    多分、この能力が私は高かったから、

    汚い部屋でも気にしない性格ができたんだと思う(笑)

     

     

    私は現状に不満である。

    柵を気にして自転車を漕ぐのは不満である。

    指先の皮を剥いてしまうのも不満である。

    雨女であるのも不満である。

    収入が無いのも不満である。

    ソフトを満足に使えないのも不満である。

     

    不満である、から

    満足するように願い、自分を変えてきた。

     

    まず、『変えたい自分の姿を見つける』こと。

     

    今できないのならば『できる自分』を想像すること。

    その『できる自分』になるように『願う』こと。

     

    1. 願っても叶わないかもしれないけれど
    2. 願わなければ、必ず、叶わない。

     

    この方程式は『絶対』。

     

    だから、

    現状に不満なら

    『満足する形』を『願う』ことが最前。

     

     

    流れ星に願いを三回唱えるとかなうよ

    と昔から言われますよね?

     

    あれは、物理的に、流れ星が願いをかなえてくれるのではないのです。

    この時の『流れ星』というのは『獅子座流星群』のように

    「来ることが決まっている流れ星」ではなく

    「突然来る流れ星」のことです。

     

    ふと空を見上げたら流れ星が出た。

    このときに『願い事』を言える。

    それは、『常にその願い事を考えている』からです。

     

    その願い事を『常に考えて』いなければ、

    流れ星が出たときに『言えない』のです。

     

    流れ星に願いを三回唱えるとかなうよ

    というのは

    『かなえたい願い事を、常に考えていれば叶う』ということなのです。

     

     

    今、あなたの目の前に魔法のランプが突然出てきて

    『願い事をなんでも三つ、かなえてあげるよ』と言われたら

    あなたは何を言えるでしょうか?

     

    最近気になっているCDがほしい、とか

    給料日まで食べつなげる小遣いがほしい、とか

    『日常的にちょっと困っていることの回避策』しか浮かばないのではないでしょうか?

     

    この時に

    「家族で悠々すめて、収納もたくさんあって、家庭菜園で自給自足できる庭があって、近所に格安スーパーがあって、ちゃんと宅配も届くところで、安全性の高いところで、日当たりの良いところで、太陽光パネルを設置した住み心地の良い家を、南の海辺にほしい。年間最低気温は18度ぐらい」

    とか言える人は、すでにそういう家を探しているでしょう。

     

     

    これが、よく成功本とかで出ている

    『願いはテキスト化しろ』ということと同意なのです。

     

    願わなければ叶わないのです。

     

    自分を変えたいならば、

    変えたい部分を見つめるのではなく、

    変わった自分の姿を想像してください。

     

    軽い自傷するのがいやなら、そこが綺麗になって、なにをしても痛くない状態を想像しましょう。

    何かを気にして行動が制限されるなら、何も気にせずに悠々と行動している自分を想像しましょう。

     

    『それ』を治したいから『それ』のことを考えるのではないのです。

    『それ』を治したいなら『それが無い』状態のことを考えるのです。

     

    『こうなりたい』のならば、『こうなりたい』姿を見つめるのであって

    現状の自分を見つめてはいけません。

     

    あの人のように高級外車をのりまわしたい」のなら

    私はあの高級外車をのりまわしたい」と願わなければなりません。

     

    「他人がしていること」を考えると、他人がそうなるだけで、自分はそうなれません。

     

    「カーネギーのようになりたい」のではなく

    「第二のカーネギーホールを自分が建てたい」と願うのです。

    「自分の名前のついた大きなホールを建てたい」でもいいでしょう。

     

     

     

     

    『デスノート』でもあったでしょう?

    ノートに死を否定しても死は実行される。

    ノートは否定文を理解しない。

     

    『願い事』もそれと一緒なのです。

    『否定文』を願い事は理解しないのです。

     

    「したくないこと」+「否定」

    で願い事を考えるから

    「したくないこと」が実現するのです。

     

     

    忘れ物を無くしたいのなら

    「忘れ物をなくしたい」と願ってはいけません。

    「忘れ物」+「したくない」という文章になっています。

    だから、いままでも忘れ物をするのです。

     

    「いつでも準備万端でいたい」と願わなくてはいけないのです。

    『忘れ物』に焦点を当ててはいけません。

     

     

    怪我をしたくないのなら

    「怪我をしたくない」と願ってはいけません。

    「無事で帰って来ますように」と願わなくてはいけないのです。

     

    お母さんは子供が出かけるときに

    「怪我をしないでね」というから子供が怪我をするのです。(ホントに)

    「忘れ物してない?」と聞くから、子供が忘れ物をするのです。

    そして、子供に対して「あんたはすぐに忘れるから」と言うから

    子供はすぐに忘れるのです。

     

    すべて、『お母さんの言葉がかなっている』ことに気づきましょう。

     

    雨男雨女も

    「自分がいるから雨が降る」というから、その願いが叶っているのです。

     

    『言魂』というと気持わるがるかもしれませんが

    人間には、そういう力が、元々そなわっているのです。

     

    「そんなのは嘘だ」というから

    こういう力があなたには働かないのです。

    だって、あなたは「そんなことは実現しない」と言っている

    その言葉が実現しているのですから。

     

     

    「催眠暗示なんて嘘だよ」というから

    あなたには催眠暗示が聞かなくて

    自分の言魂で自分を変えることができないのです。

     

    「お金がない」と言うからお金が無いのです。

    「時間が無い」と言うから時間に追われるのです。

     

    「着ていく服が無い」と言うから、そういう所に呼ばれなくなるのです。

    喪服にも使えるフォーマルは、一着、持っておくべきです。

     

     

     

    幸せになりたいのならば

    いまの自分をどうにかしたい、と考えるのではなく

    自分が幸せな状態を考えるのです。

     

    何をしたらあなたは幸せですか?

     

    美味しいごはんを食べられたとき?

    高級な服を買えた時?

    高級な車を買えた時?

    大きな家を買えたとき?

    よい友達としゃべっているとき?

    仕事がとんとんと進むとき?

     

    高級な服を買って、友人に見せびらかして悦に入っている姿を想像しましょう。

    高級な車を買って、みんなの羨望の中、自分が走り回っている姿を想像しましょう。

    大きな家の設計図を思い描いて、部屋数を吟味し、配置する家具を選んで、土地や、不動産屋、引っ越し業者を探しましょう。(探すだけで、アクセスしなくてもいいです)

    気の合う友達と、くつろげるお店で楽しくメニューを選んで、楽しくしゃべっている姿を想像しましょう。

    仕事が順調に進み、上司から褒められて昇進し、「給料が上がったぞ!」と家族に報告する姿を想像しましょう。

     

    「できていない今」から「どうやるのか」ではなく

    「できてしまったあと」のことを考えましょう。

    すると、いつのまにか、「どうやるのか」は閃きます。ホントです。

     

    人間の脳は、「願い事をかなえる手段」を見つけるための道具なのです。

    あなたが「これがしたい」と言えば、「どうやったらそれがかなえられるか」を

    あなたが寝ていても考えてくれて、解決策を出してくれます。

     

     

    「幸せ」というのは、

    椅子取りゲームの椅子ではありません。

    全人類が「幸せ」を願ったときに、誰かがあぶれるようなものではありません。

     

    みんなそれぞれに幸せの形は違っていて

    それぞれの幸せをかなえるためのものはすでにこの世界に揃っているのです。

     

    あなたが幸せになるために、誰かを不幸にすることはありません。

    あなたの傍で誰かが幸せになったからと入って、あなたが不幸になることはありません。

     

     

    誰かが死んでくれることが私の幸せだ、という人がいるかもしれません。

    でも、本当にそうでしょうか?

    その大本は「その人が自分にとって影響を及ぼさなくなる」なれば良いのではないでしょうか?

    「自分が気にしなくなれば良い」のではないでしょうか?

     

    ならば、その人がいることで影響がある、と思っている自分の心がなくなればいいのです。

    他人をどうこうするのは大変ですが、自分が変わるのは簡単です。

     

     

    誰かの死が悲しくて、幸せなんて想像できないのなら

    その人があなたの傍にいて幸せだったときのことを考えましょう。

    『いない今』ではなく、『居たとき』のことを考え、その思い出に浸ってしまえばいいです。

    逆に、その人のことを全部忘れてしまうのも手段の一つです。

    新しい関係を気付けば、昔の関係はたからばこのなかにしまってしまっていいのです。

    故人のことを忘れることを責めているのはあなただけなのですから。

     

    他人のために自分の人生を悪い方に狂わせてはいけません。

    あなたが愛したその人は、あなたが身を持ち崩すのを願っていたのですか?

    その人は、あなたが幸せであることを願ったのではないのですか?

    ならば、その、あなたの大事な人の願いを、まず、かなえてあげませんか?

    あなたが、幸せになりましょう。

     

     

     

    世界人類全員が自分の幸せを願って、それがかなっても、世界はこのままなのです。

     

    だから、あなたはあなたの幸せを願ってください。

    その幸せがかなったら、また上の幸せを願ってください。

    周りの人の幸せを願ってください。

     

    そうして、どんどんどんどん幸せになってください。

     

    特に、『ヒトサマが幸せになること』を祈ると、

    「自分が幸せになること」を願うより、自分が幸せになれます♪

    不思議ですけど、本当です。

     

    人のために働くと、因果応報で、良いことも自分にまわってくるのです。

     

    寄付をしたらその数倍の金額が返って来た、と聞いて

    寄付をしてみたけど返って来ない、という人がいるかもしれません。

     

    『自分のために寄付をした』ら、自分の自己満足しか返ってきません。

    『ヒトサマノために寄付をした』から、『倍する幸せ』があなたに返ってくるのです。

     

    娯楽産業はとても判りやすいですね。

     

    ヒトサマに楽しんでいただいた分、自分の収入は上がるのです。

    面白いから売れて、売れるから印税が入るのです。

     

    サラリーマンやOLでも一緒です。

    周りの人を助けるためにあなたはそこにいるのです。

    だから『自分の仕事だけ』を片づけていると、いつまでたっても上に行けないのです。

    『人のため』になるように動いて初めて、お給料が上がるのです。

     

    つまりは、『先に給料以上の働きをしろ』ということです。

    でも、それが『自分のため』ではいけないです。

     

    残響をしないとクビになる。

    残業をしないと食べていけない。

     

    それは、『自分のため』だから、上のステップにいけないのです。

    その状態では精神も圧迫されているでしょうし、疲労で頭もまわらないから大変でしょうけれど

    まずは「残業をしなくても悠々生活できている自分」を想像してください。

    趣味を楽しんでいる自分を想像してください。

     

    残響をしないとクビになる。

    と考えるから、残業をしないとクビになるのです。

     

    残業をしないと食べていけない。

    と考えているから、残業をしないと食べていけないのです。

     

    あなたの願いは叶っているのです。

     

    残業をしているのも、それで生活がカツカツなのも、現実ですが

    現実だけを考えていては『願い事』は叶わないのです。

     

    だって

    『願い事』は今、現実ではないのですから。

     

    馬車馬のように、目隠しをされて『現実』しか見ていない。

    ほとんどの人はその状態です。

    まずは、『目隠し』をとることを願い事にしましょう。

     

    「一度深呼吸をしよう」と願ってください。

    それが叶ったら「ちょっと休憩しよう」と願ってください。

     

    「仕事続きで頭が破裂しそう」と考えるのではなく

    「頭を休めよう」と考えてください。

     

    「最近、寝ても疲れが取れないんだよなァ」ではなく

    「寝たら疲れがスッキリとれる!」と『発言して』寝てください。

     

    長くても三カ月ぐらいで、スッキリするようになるはずです。

     

    肉体労働者でなければ、『スッキリしない』のは体力的疲労より

    精神的疲労が大きいでしょう。

    精神的疲労ならば、『言葉』で治るのです。

     

    「体が辛いからサプリを呑んでいるよ」ではなく

    「体を元気にするサプリを呑んでいるよ」と『言って』下さい。

     

    コーヒーを飲んだら「あー、コーヒーはやっぱりすっきりするなぁっ!」と『言って』下さい。

     

    ここまですれば、寝て疲れはとれていますし、コーヒーを飲んだらすっきりするようになっている筈です。

    ちょっと、生活に余裕が出ているでしょう。

     

    ちょっとずつ、『仕事以外』のことも考えてみましょう。

    「自分が、楽しいと思うことは何かな?」と、声に出して自分に問いかけてください。

    旅行するのが楽しかったなぁ。

    子供の笑顔を見ると楽しかったなぁ。

    恋人の姿を見るのが楽しかったなぁ。

    本を読むのが楽しかったなぁ。

     

     

    通勤するたびに旅行パンフレットをもらって、時間を見つけて眺めていましょう。

    ここに行くなら何月だよな、休みをれたら行けるよな、電車はああいってこういって……と、『行ったとき』のことを考えましょう。

    お子さんが寝ている顔を毎日除きましょう。お子さんの笑顔の写真を手帳に貼りましょう。

    恋人に短いメールを送りましょう。恋人の写真を手帳に挿れましょう。

    薄い本を鞄に挿れましょう。通勤電車が満員で読めないなら、ホームで立っているときに読みましょう。

     

    少しずつ少しずつ、時間をあなたのものにしていきましょう。

    少し幸せになると、もっと幸せが欲しくなります。

    それが『どういう』幸せか、判るようになっていきます。

     

    「一度、深呼吸をしよう」

    そんな、『願い事』の第一歩を踏み出しましょう。

     

    今すぐできるでしょう?

    今すぐ叶うでしょう?

    あなたの言葉は、叶ったでしょう?

     

    そうして、すべてのことが、『あなたの発言の結果』であることを、知って、使ってください。

     

    「ああ、今日もまたあの課長の下で働くのか(ウゼェ)」と朝一番に思うのではなく

    「今日は机をちょっと拭いてみようかな」「電話を綺麗にしてみようかな」

    「使いやすい文房具を探してみようかな」「コーヒーの変わりに緑茶を飲んでみようかな」

    と考えてみてください。

     

     

    「俺は会社の歯車にしかすぎない!」と発言するから

    あなたは会社の歯車にしかすぎなくなるのです。

     

    あなたが『発言』したことは叶っているのです。

    それを、自覚しましょう。

     

    あなたが「お金が無い」と発言するから

    あなたはお金が足りないとつねに思うのです。

     

    人からの誘いを断るときは

    「金がないから無理」ではなく

    「今日は早く帰りたいんだ」「また別の機会に誘って」と言いましょう。

    疲れてもいないのに「疲れてるから無理」と言うと、本当に疲れてしまいますのでやめましょう。

     

    「金がないから無理」というのは、言魂の他に

    「お前に使う金はない」と相手を格下げに見た発言にもなるのです。

    だって、他にお金を使ったから、その誘いに使うお金が無くなったのでしょう?

    とくに、早くからその約束を聞いていたのでしたら、計画性の無いバカ扱いされます。

     

    「時間がないから無理」「忙しいから無理」というのも

    「お前に割く時間はない」「お前たち暇人と俺は違う」という意味にとれますのでやめましょう。

    せめて「先約があるんだ」とか「どうしても今日中によみたい本があるんだ」とかにしましょう。

    その時に「来週の金曜なら空けるから」と代替案を出すとベストです。もちろん、来週の金曜日の反故はナシですよ。

     

    「○○が無いからできない」というのは、断りの中でも最低の部類です。

    あなたに計画性が無いから『無い』のです。

    あなたの無能力を露呈する発言なので、別の言葉で言い換えるように気をつけましょう。

     

    「無いからできない」と言っていると、永遠に『無い』し『できない』状態が続きます。

     

     

    『言葉』って、何気なく使っていますが、強力なツールなんです。

    包丁で核爆弾が作れるんだ? というレベルに

    想像しないほど、強力なツールとして使うことができるんです。

     

    最強の方法で使って、最上級の幸せを入手してください。

     

    他人を変える簡単ではありませんが

    自分を変えるのは、それよりは簡単です。

     

    良い方に、変わりましょう。

     


     

    『願えば』『叶います』。

     

    一円も必要としません。

    一分も必要としません。

     


     

    まず、願ってください。

     


     

    そして、あなたがまず、幸せになってください。

    そして、あなたが幸せを実感したら、あなたのまわりの人の幸せを願ってください。

    あなたにもっと幸せが舞い込んできます。

     


     

    ここまで読んでくださったあなたが今日より明日、

    明日より明後日、もっと幸せになってくださることを

    私は願っています。

     

     

    Enjoy!&Thank you♪

     

    2013_11_14(木) am10:49

    日本の漫画って『血筋』が多いよね。

    部屋を掃除したら、大昔の本が出てきて
    しかも、欠けてる
    というか、この中の数冊しか無い、というありさま。
     

    前のシリーズも揃えようか迷って、とにかく人妻編だけ買う。
    6,7,8しか家に無いんだよ!
    師の宮の顛末はどうなったんだーっ!
     
    平安時代のお姫様が陰謀&アクション活劇♪
    基本はコメディでさらっと読めるのにどっしり来る♪
     

     
    音楽業界を駆け上っていく女二人と、まつわる男共の話し。
     

    その主人公、なんかエジプトの勉強してたん?
    なんで地方の方言までわかんの?
    とか、所々引っかかるところはあるけれど、全体は文句無く面白い。
     
    『王家の紋章』は金髪碧眼が過去に行って、終始振り回されていたけど
    こっちは、黒髪黒目の日本人が過去に行って、自分から引っかき回す話し。
    大河ドラマの主人公が名家じゃない、ってこの頃は珍しかった気がする。
     
    なんのかんの言っても、日本人って『血筋』が好きだよね。
     
     
    アメリカのヒーローは、スーパーマンはのぞいて
    スパイダーマンとか、バットマンとか
    結局は『華族、貴族』でもない一般人(バットマンは金持ちだけど)。
    一般人でも世界を守れるぜ! ってのが開拓民のアメリカンマインド。
     
    日本のヒーローは上から目線。
    『水戸黄門』は将軍家。
    『暴れん坊将軍』も将軍家。
    『遠山の金さん』『大岡越前』も裁判官。
    『お上』は庶民をちゃんと守ってくれるよ! ってのが農民の日本人思考。
     
    石川五右衛門とか、泥棒だけど、毎週ドラマにはなってないからな。
    『結局は、元をただせば名家の子でした』ってのが多いと思う。
    『ワンピース』とかも、最初から「伝説の海賊王」の『血筋』かも、ってのだしね。
     
    一般人が王子さまと結婚する『シンデレラストーリー』が日本人には無い、
    って、日本人ほどわかってる人もいないんだろう。
    日本人なら、「お前はパーティーに連れて行かない」と言われたらそこであきらめるよね(笑)
    万が一ドレスや馬車が入手できたって、立ち居振る舞いでお里がばれる。
    この『お里がばれる』ってのは万国共通の考え方なんだろうか。
     
     
    昔は、『天から女の子が降ってきた!』系は男性漫画専門だと思ってたけど
    (『うるせいやつら』とか『ああ女神さま』とか『電影少女』とか)
    最近は女の子漫画でも見かけるようになった。
     
    男の子は結果だけが大事で、女の子は経過が大事だから
    空から誰かが降ってきたら近寄らない、という(笑)
     
    平凡で取り柄の無い、美人でも無い女の子が金持ちのボンボンを射止めたとか。
    女の子も自由になってきたんだなぁ、と感じる。
    自分になんの資格がなくても、上位の幸せを望めるようになってきた。
     
     
    最近、どの番組だったか忘れたけど、編集さんが言ってた。
    「最近の子は『努力』を描写されるのが嫌いです。
    現実じみてイヤらしいです」
    って。
    ちょっとでも過去描写とかで出てくるのもいやなんだとか。
     
     
    私は、努力もなくいきなり技を出されると醒める。
     
    ワンピースとか、ルフィがいきなり蒸気出した時に読まなくなった。
    一応どこかで何かしてたのか理由が出るのかと思ってたけど、
    サンジの足が燃えたときについていけなくなった。
     
    テニプリも、ダブルドライブ、とか言われたときにもう無理、って思った(笑)
    跡部もいなくなったしな……
    (テニプリも『血筋』だよな)
     
     
    そういう点で、幽々白書とか、ハンター×ハンターとか
    (ハンターもそう言えば、キルアもゴンも親の『血筋』)
    努力するしないに関わらず、その技が出てきた『由来』が書いてあると安心して読める。
    (キルアに関してはあと何人兄弟がいるんだよ、とも思うけど(笑))
     
     
    ジャンプって王道から落ちたとかなんとか言うけど
    やっぱりそういう点では日本人の気持いいところをついてるんだな、と思う。
    そして、ジャンプで話が変わっていくのは、日本人も変わったんだな、と思う。
     
    ドラゴンボールは知らないけど、北斗の拳とか、アラレちゃんとか、セイントセイヤとかは
    血筋関係なかった気もするけれど、アラレちゃん以外は、敵方に血筋が出てきていたような気もする。
    敵に血筋が出てくるのはアメリカも一緒だから、
    まぁ、主人公に血筋が多いってのも、私が好きだから目につくのかもしれない。
     
    血筋は、いいよ♪ 私は好きだ♪
    超一般庶民の私が夢見る世界だ。
     
     
    現実的には、うちの家系は、逃げた平家の落ち武者の家系かもしれないんだけどさ……
    でも、家系図を振りかざすような所じゃないから、長いところじゃないっぽいけど。
    たんに貧乏だったからそこに家を造ったのかと親に聞いてみたら
    そう言えば昔、落ち武者がここらへんに居た、ってのは聞いたことある、って言われた。(T_T)
     
    否定してほしかったのに……
     
    まぁ、それでもウチがその落ち武者だと言われたわけじゃないけど。
    ここら一帯同じ名字だから親族ではあるらしい。
     
    歴史長い落ち武者と言われるよりは
    雑草のようにはびこった農民の方が、私はいい。
     
    まぁ、落ち武者だろうが、貴族だろうが、農民だろうが
    『今』生きている時点で、ご先祖さまはその歴史歴史を生き残ったんだから
    凄いんだけどね。
     
    今みたいに、子供生みたくない。
    自分の楽しみだけ追求したい、ってなると、家は断絶するんだから。
    ご先祖さまは凄いんだよ。ホント。
     
     
     
    母の方は、完全に農民なんだ。
    その土地の金持ちではなかったようだけれど、
    一抱えもある大黒柱がある大きな土地の大きな家だから、ソコソコの暮らしだったんだと思う。
     
    ちょうど道向こうの隣に、もっとでかい土地のもっと綺麗な日本家屋の家があるから
    母は自分を貧乏だと思って育ってるけど、
    反対隣は、うちの一軒分の土地に数軒建ってるんだってば。
    私が初めてこの家を見たときは『でっかい家っ!』と思ったんだよ。
     
    今、その空き敷地に、母の甥っこ三人が、三階建ての家を建てて男だけで住んでる。
    もう、三男が私より上なのに、誰一人結婚してない。
    この三男が昔同人やってて、少し前はモー娘に入れ揚げてた。
    今はどうしてるんだろう。
     
    この誰もが結婚しなければ、この家も当代でつぶれる。
    もう、母屋は誰も住んでない。
    潰すのにお金がかかるから、このままなんだろう。
     
     
    父の方も、家自体はでかかったんだ。
    親戚が三十人以上集まっても狭いと思わなかったんだから、相当だと思う。
     
    敷地内に納骨堂があって、骨を庭に埋める、って言ったら
    小学校の頃、クラス中にバカにされた。
    だって、本当に庭に骨を埋めてたんだから他に言いよう無いだろう。
    まぁ『納骨堂』って言葉を知らなかったから曲解されたとは思うけど。
     
    私は『事実』を言っているのに『嘘』だと言われることの肚立だしさを
    小学校三年ぐらいで知った。
    言葉って大事だな、って思った。
    それを説明できるだけの『言葉』が『欲しかった』んだ。
     
    私が『言葉』にこだわるのは、こういうのも一因かもしれない。
    それが、ネットになって、
    『ニュアンス』が伝わらなくなって、余計に細かく言うようになった。
    それも最近はあきらめた。
     
    文句を言う人は、全文読まずに文句を言ってくる、って気付いたから。
    全文読まずに文句言う人に付き合う必要なんて無い。
    って気付いたら楽になった。
     
    露出が多くなれば、ファンも増えてくれるけれど、アンチも増える。
    そのアンチの一言で傷ついて筆をおる人も多いだろう。
    次作を待ってくれる人は何も言ってくれないけれど
    イヤな人は大声をあげるだけの話なのに。
     
     
    ノーイジィマイノリティ大衆の意見と思ってはいけない。
    それがわかるまでは、きつかった(笑)
     
     
    最低でも、ファン100人に対して、一人の変な人はいる。
    読者層を100人に増やせば、変なことを言ってくる人が一人出る。
    一万人なら変なことを言う人が100人いる。
     
    その中の一割以上はアンチだ。
     
    けれど、アンチは全体の一割もいない。
    なのに、声の大きいアンチに作者は左右される。
     
    『嫌いだ』と面と向って言う人の言うことを聞いてしまう。
    『好きだ』と言う人は声を出してくれる確率が低いから。
     
    特にサイトだと、切手代もいらないし、
    メールで自分の身元がばれる心配もないし
    完全匿名でいけるから、ガツガツ書いてくる。
     
    Twitterで、自分のツイートがあるのに他人にアンチで搦めるひとってのは強心臓だよ、本当。
    サイトのコメントとかだと、完全匿名OK。
     
    ほとんどの人はちゃんとした人なのに
    たった一人のアンチのためにサイトを閉じた人のなんと多いことか。
    うちなんて、アンチもわかない過疎サイトだからそんな心配いらなかったけど。

     
    小説家になりたいという人に、特に言いたい。
    あなたが世に出れば、アンチも湧くのだ、ということを知っていますか、と。
    覚悟して出ないと、最初のアンチの一言で、
    一生を左右するトラウマになるぐらい傷ついて、筆を折ってしまいます。
     
    好意の感想より、悪意の言葉の方が忘れられないからです。
     
    友達にすら書いた小説を見せられない人は、世に出るべきではないです。
    友達よりもっと辛い言葉が、天から降ってきますから。
     

    話を家の話しに戻す。
     
     
    母の家より父の家の方が貧乏だったらしい。
    父の家は米を作ってないからな。
    私がおぼえている限りは、フキを作ってた。
    昔は芋を作っていたらしい。
     
    母は麦飯を食べた覚えは無いらしい。白米で育った世代だ。
    父は、かなり大きくなるまで麦飯だったとか。
    というか、芋が混じってたとか、芋が主食だったとか。
    だから今でも白米が好きで、芋は食べなくて、母が雑穀米を炊くと複雑な顔をしていた。
    今は、栄養価もいいんだからと納得しているらしい。
     
     
    なんでこんな話しになったんだっけ?
     
     
    まぁいいさ、人間生きてれば、誰か過去の人にはつながってるんだ!
    その、判る最後の人が勝ち組か負け組かってだけの話さ!
    というか、父親の家も、先日つぶれることが決定した。
    母親の家も、そう言えばやばいんだけど、どうなるんだろう。
     
    どっちの家も、トイレが別棟にある昔の作りだから、今にも倒れそうで怖い。

     
    数年前
    久しぶりに父の実家に行って、相変わらず庭にあるお墓を参ったら
    山の向こうからバラバラバラバラバラッ! って大きな大きな雨粒が降る音がしたんだ。
    漫画で書いてる、ヘリコプターの羽の音みたいな『バラバラバラ』って音(笑)
     
    でも、『バラ』の一つ一つの音ははっきりしていて、太鼓をたたいてるような感じで、
    凄く楽しそうな音だな、と思った。
    雨の音だとは、降って来るまで、その場にいた全員、わからなかった。
    それぐらい、なんか、変な雨の音だったんだ。
     
     
    一つの雨粒で、三センチ角ぐらい肌が濡れるような極大の雨粒。
     
    あわてて本宅に戻ったら、私と父はほとんど濡れていないのに、
    母だけがびしょ濡れだった。
     
    私は父の血筋だけど、母は他人ってことだったのかもしれない。
    心狭いな、ご先祖さま!
    あなたの子孫の子供である私を生んでくれた女性だぞっ!
     
    (だから怒ったのか! え?)

     
    母の実家に行った時、お墓参りをして、おばあちゃんの入院している病院に行った。
    おばあちゃんの手を握ったら、なんとなく笑顔で頷いてくれた気がする。
     
    その時、なぜか駐車場で長居することになったんだけど
    自動車の窓から空を見上げると、『金色の羽』が浮かんでた。
     
    他の雲は白いのに、私の目の前だけ、『金色の羽』になってた。
    両親にそれを指さしても、どちらにも見えていなかったらしい。
    あんなに綺麗だったのに……
     
    もう一度見たいな。
     
    ちさろうに言ったら「ご先祖さまとおばあちゃんがお礼を言ってくれたんだよ」って言われた。
    納得した。
     
    いいんだ!
    どうやっても真相がわからないものは、いいように納得したらいいんだ!(じたばた)
     
    世界には、人間の知らないことの方が多いんだよ。
    科学でなんでもわかるとか、傲慢もいいところ。
     
     
     
    ご先祖さまありがとうございます。
    おかげさまで、今日も私は元気です。(合掌)

     
    漫画の話しに戻す。
     

     

    ↑ラストもスカッとする。

    長編はこうじゃないといけないよなぁ♪

     


    こないだ、アマゾンで大量に漫画を買った。↓

    アマゾンで買い物 | BL作家 晶山嵐の日記

    ↑このあとに、結局、家に全巻揃えたくなったので

    ↑に至るまでの巻も、ベルセルクとエロイカ全部買った♪

     

    部屋の中がまた大変なことになっているのでどうにかしたいが

    どうしたらいいもんか。


    一条ゆかりさんの本は、

     

    ↑有閑倶楽部が初だと思う。

    多分、このかたの本、全部買ってる。

     

    中でも記憶に衝撃的だったのが下記。

    プライド 1 (集英社文庫 い 34-43)
    一条 ゆかり
    集英社 (2012-07-18)
    売り上げランキング: 435,202
    正しい恋愛のススメ 1 (集英社文庫―コミック版)
    一条 ゆかり
    集英社
    売り上げランキング: 400,783

    因果応報の怖さとありがたさ。

    『突き進む意志』で上昇志向になれる♪

    プライド 1 (集英社文庫 い 34-43)
    一条 ゆかり
    集英社 (2012-07-18)
    売り上げランキング: 435,202

     

    さぁがんばろうっ! って思える本。


    正しい恋愛のススメ 1 (集英社文庫―コミック版)
    一条 ゆかり
    集英社
    売り上げランキング: 400,783

    アラサー以上の人には特に嬉しい本じゃないかな(笑)

    いつまでも若く美しい自分と、若いツバメの本♪


    『祈る』だけじゃだめ!

    実行が伴わないと!

     

    キリスト教の主人公と、仏教のまわりのいろいろな物語。

    『祈る』ってのは、こういうことだと実感できます。


    下二冊は、少女漫画の定番ストーリーなんだけど

    一条さんが描くとこんなになります、って言う♪

     


    もう中古しか売ってないけど、これも大好き♪

     

    ↑作中で『普通参政権』が通るんですが

    まだ女性には参政権が無い、そんな時代の話し。

     

    主人公が二人。

    同じ貧村から野麦峠(笑)に出された女の子達。

    一人は、多分水飲み百姓だよね。

    もう一人は落ちぶれた名家の長女。(兄弟がいたかは忘れた)

     

    二人は同じ工場で職工となり、

    百姓の方は、工場の学校からソフト左派活動家に。

    (この子に振られた彼氏が極左派に走った)

    名家の方は華族の養女になって、財閥を築く手前まで。

    そして、数年あっていなくても二人は親友。

     

    名家の方が好きでねぇ♪

    猪突猛進の意志が華やか♪

     

    名前思い出した!

    名家の方が『南部咲子 なんぶさくこ』、

    百姓の方が、名字忘れたけど『うの』ちゃんだ。

    漢字も忘れたな。

     

    この漫画読んで『南部鉄器』ってのが頭に入った、

    (のちに和風総本家で南部鉄器が出てきたときにこの名前を思い出して)

    と、今思い出したら、名前も出てきた♪

     

    やっぱり記憶って、縦横無尽に糸を貼っておくもんだね。

    どっかを思い出すと、芋づる式に思い出せる♪

     

     

     

    で、この二人の話が終わったあと、

    その話で出てきたキャラクターがちらほら出てくる別シリーズ開始。

    明治・大正・昭和初期を舞台にした作品だと
    この作家の右に出る人なし。

    ↑の本のレビューにこうありますが、まさにその通り。

     

    このシリーズ名なんだったかなぁ……

    『懐古的洋食事情シリーズ』だ。

    市川ジュン ? Wikipedia

    市川 ジュン(いちかわ じゅん、1949年5月31日 - )は日本の漫画家。東京都新宿区出身。夫は漫画家の柴田昌弘

    今初めて知った、びっくり!

     

    当時の食べ物の話しにからめて、『陽の末裔 』シリーズのキャラが出てくるという♪

    というか、『陽の末裔』シリーズのサイドストーリーだよね。

     

    『陽の末裔』シリーズではちょい役だった子爵の恋愛話とか

    『陽の末裔』シリーズではかすっただけの出演者の

    しかもその別荘を管理する女の子の話とか(笑)

     

    ああ! あのキャラの別荘の管理人のお嬢さんの話し!(遠!)

    みたいな、遠いんだけど、『陽の末裔』シリーズではあるという楽しい世界♪

     

    『ちゃんとできた話し』だと、ここまでサイドストーリーがあるんだな、と納得したシリーズでもある。

     

    この本の時代は、まだ女性に参政権がなかった時代。

    今、投票率が低いとかなんとか

    選挙を義務制にしたらどうとかなんとか

     

    選挙ってのは『権利』であって『義務』ではない。

    私たち国民が『勝ち取った権利』なんだ、と。

    選挙の話が出るたびに、このシリーズを思い出す。

     

    漫画でいろんなことをおぼえてきたけど、政治的なことをおぼえたのはこれだったんだじゃ無いかと思う。

    漫画や映画だけで歴史をおぼえるのは駄目だろうけれど

    それでも、それは記憶には残るし、

    もっと知りたい、勉強したい、という『きっかけ』にはなる。

     

    『きっかけ』がなければ、何にも出会えない。

     

    道ですれ違った人の顔をおぼえていられる人は天才。

    普通の人は、挨拶されても数年前だと忘れている。

     

    歴史やものごとは私たちのまわりに、

    それこそ、歩行者天国の人の流れのように有象無象に流れていく。

    その中で『挨拶』されてやっと『それ』を『認識』する。

     

    それか、『まわりとあまりにも変わっていた』から『認識』する。

    そのどちらかしかない。

     

    周りと普通すぎて目に留まった、なんてことは、無い。

     

    それが『きっかけ』。

    きっかけは多ければ多いほど、記憶に止まる率は高くなり

    後で思い出す率も高くなる。

     

    テレビで聞いても、聞き流していれば『きっかけ』にはならないから

    「昨日テレビで言ってたでしょ?」と言われてもおぼえてるわけない。

     

    漫画ってのは、そういう『きっかけ』をくれて、あまつさえ

    ある程度まで深く掘り下げてくれる、とても判りやすいツールだと、私は思う。

     




    漫画は、軽く読めて気分が明るくなるし

    モチベーションも上がる。

    私にとっては、欠くべからざるツールだ。

     

    エロイカとか、本当に何十回読んでるんだろう。

    この主人公二人の『あきらめる』って言葉を知らない行動が

    凄く指針になる。

     

    あきらめたら、そこで終わりなんですよ。

    なんでも。

     

     

    漫画家さん、今日もありがとう!

    あなたのおかげで、私は幸せになっています♪

     

     

    Enjoy!&Thank you♪

    2013_11_18(月) am08:51

     

     


     

    完全断食二日目、夜。足にしびれが出てきた。

    お昼から、ちょっとボーっとしてたけど

    夕方六時ぐらいから、爪先がピリピリしてる。

     

    体重は、昨日の断食で一キロ減ったけど

    今日はあんまり減ってない。

     

    内臓内の食べ物が減った分だけ軽くなったんだろう。

    手にもちょっとぴりぴりが出てきた。

    これは、慣れるのかな?

    それともずっとあるのかな?

     

    断食 - むすび世我

    断食中は可能なかぎりの運動をしなければいけない

     

    断食に失敗すると、いろいろあるらしい。

    尿の酸度も上昇→尿が酸っぱい匂いしたので、私はこれに入っている模様。

    完全断食今回あきらめて、今、野菜ジュースを飲んだ。

     

    そして、四日後にお寿司を食べに行くことは決まっているので

    完全に断食するとやばいだろう。

     

    ということで、いつも通り『小食』に移行。

    明日はヨーグルトと野菜ジュースを摂取。

    明後日は、残り物をちょっと食べる。

     

     

    生理でしんどいからついでに断食してしまえと思っただけなんだ。

    やっぱり危険っぽい(笑)

     

    断食明けの料理とかってまずいんだよね……

    水が特に。

     

    断食中も飲んでいる水は、

    竹炭で濾過しているものなんだけど、

    普通のウチの料理は水道水を使ってるから

    その水道水の臭いがする。

     

    今飲んだ野菜ジュースも、凄い水臭かった。

    これは反日ほどで慣れるんだけど、最初はけっこうたまらない。

    どぶ臭い。

     

    もっと運動できるときに断食しよう。

     

     

    でも、断食するって言うと、母がお寿司買ってくるんだよね……

    しかも、私の超このみのものばっかり。

     

    表立って反対はしないけれど、食生活を変えるのをいやがるというか

    私は今のままの方が良いと、きっと思ってる。

     

    娘がダイエットすると、甘いもの買ってくるのって絶対それだよね。

     

     

    独り暮らしなら、平気で断食してそうな私。

    食生活が浮いていいわー、とか言いながら(笑)

     

    断食してると何がいい、って

    頭がよく働くし、『食事時間』をとられないから、ものすごくいろいろなことがはかどる。

    ウチはなんといっても、昼食、夕食に二時間ぐらいかかる。

    食事のあとの団欒も含めてだから

    忙しいときは中断できるけれど

    この時しか華族が集まらないので、無下に早引きしにくいししたくない。

     

    ゲーム『トルネコの大冒険』の四個まで

    ハラヘラズ(食事が必要なくなる)の指輪を華族で装備したら団欒が無くなった、ってのを思い出す(笑)

    本当に、食事時じゃないと団欒が無い。

     

    昔は華族でゲームとかトランプとかしたんだけどな。

     

     

     

    Enjoy!&Thank you♪

    2013_11_18(月) pm07:12

    category: ダイエット | by:晶山嵐 Ran Syouyamacomments(0)trackbacks(0) | -|
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      日々を有意義に過ごすために。

      日記をどう活用するか?〜時間畑から収穫を得る方法〜その2 | jMatsuzaki

      4行日記

      一日の出来事を「事実」「発見」「教訓」「宣言」の4つのパートに分けて日記にする

      この形式が素晴らしいのは、負荷が非常に小さいながら、日記に最も大切な「思考した結果」が得られる点

      まずいお刺身とゴボテンのある夕食

      私の時間畑は主に3つのツールで形成されています。

      1.資料置き場

      2.行動の管理簿

      3.時間の記録簿

       

      1.資料置き場

      日記を書く為に必要な情報インプットであり、同時に日記自体を保存するアウトプット先でもあります。

       

      2.行動の管理簿

      時間畑のどこに空スペースがあるか見極める必要があります。

      3.時間の記録簿

      時間の使い方を観察する

       

      日記をどう活用するか?〜時間畑から収穫を得る方法〜その4 | jMatsuzaki

      行動を効率化して作業負荷を最小化し、習慣化しやすい土壌を作る事

      時間の正しい使い方をクセにしてしまうこと

       

      1.手順を定型化する

      2.雛形を作る

      3.カウントダウンする

      4.ルーチンワークにスパイスを加える

       

      ルーチンワークの惰性化に対する対策

      a.変化を加えて新鮮さを取り戻す

      b.外部発信を効果的に使う

      c.その習慣を辞める

      オススメタイマー。

      佐藤計量器(SATO) マルチタイマー TM-30
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      売り上げランキング: 7,533

       

       

      日記をどう活用するか?〜時間畑から収穫を得る方法〜その5 | jMatsuzaki

      ↑の記事のチェックリストをダウンロードして、私は毎日眺めている(笑)

       

       

      日記をどう活用するか?〜時間畑から収穫を得る方法〜その6 | jMatsuzaki

      この頁の画像リストもイイ!

       

       

      四行日記ひな型。

      1行目 【事実】 その日にあったことや自分がやったことを書く

      2行目 【気づき】 その事実を通して気づいたことを書く(反省する)

      3行目 【教訓】 その気づきから導き出されたことを教訓としてまとめる(次の行動の目標を作る)

      4行目 【宣言】 その教訓を活かして、できている自分の姿を描く(イメージを描く)

       

      私がこの半年で身につけた”良”習慣ベスト10!!

      ああ、音読か!

      目につくところには貼ってるけど音読はしてなかった。

      いや、最初の数日はしてたけど、しなくなってた。

      またしよう。

       

      片付けるためには「整理しない」のがコツ-優秀なあの人の机が“きたない”理由:日経ウーマンオンライン【自分が変わる!生活が変わる習慣心理学】

      どんなに有能であっても、あまりに多くのモノがあれば、整理整頓は非常に難しくなります。

      モノさえ少なければ整理など簡単なのです。

       

      そんなことはわかってるんだ。

      でも、『溜めて』こそ価値あるものってのもある。

      素材集なんてその典型例だ。

       

      それをどうやって管理するのか、私はずっと方法を見つけようとしている。

       

      日常のものは、一つずつ捨てる癖がもうついたので、減ってきているし

      「どうせ捨てるし」と思うので、買わなくなった。

      ここ三年ほど、パソコン関係と本以外は買っていない。

      それでも困っていない。

      生活なんてそんなもんだ。

       

      ゴミにお金を払うのが一番嫌いな行為だけれど、

      『どうせすてるもの』を買うのも、同じ行為だ。

       

      つまりは、「今、気分を明るくするために買う」という行動は

      結果的にゴミを生み出し、ストレスを生む。

       

      ストレス発散で買物をすることを止めはしないが

      実生活で容量が増えるものは止した方がいい。

      つまりは、オンライン上で、データで買えるものに向けるとあとが楽になる。

      データで買えるものは、テキストで検索して管理が簡単だからだ。

       

      私は最近、そっちに『買物ストレス』を向けたので、実生活ではものが増えなくなった。

      Daz Studioで使える『データを買う』という方式にしたのだ。

      データの管理には困っているが(笑)実生活でリアルスペースを占有しないし

      データはのちのち仕事で使える(Daz Studioのデータは、レンダリングは商用利用可能)ので

      『趣味』に特化した買物でも無い。

       

      そううと、買物をしたあと「これどうするよ……」という罪悪感とか、困惑が減る。

       

       

      これを書いているうちに他の記事を書いて疲れたので今日は終わる(笑)

      今日は不成就日だから、系統だったことをしなくていいんだいっ!(自分内法律)

       

       

      Enjoy!&Thank you♪

      2013_11_21(木) pm00:06

      Evernoteで忘却曲線にそった勉強をする。

      2013.11.22 Friday 03:13 晶山嵐 Ran Syouyama Evernote

      忘却曲線というものがある。

       

      人は記憶を忘れていく生き物だ。

      だから、忘れる寸前に勉強をし直すと、効率よく記憶を定着できる。

       

      忘却曲線を利用すると、そういう勉強法を使える。

      そのツールもいろいろ出ているけれど、大体が『英単語』に特化したものだ。

       

      私は、『画像』でそれがしたい。

      なぜなら、ニュース画像の気になる部分を写真に撮って備忘録としたり

      ネット上の図説を備忘録としたりするからだ。

       

      Evernoteでできるらしい。

      Evernote 忘却曲線 - Google 検索

       

      ということで、いれてはアンインストール

      インストールしてはアンインストールしているEvernoteをもう一度使ってみることにした。

       

      Evernoteの使い方を見ていると、無料部分ならGmailでいいじゃん、と思うわけである(笑)

      Googleは信用できない?

      では、あなたはなぜ、Evernoteを信用しているの?

       

      信用度なんて、どこもにたようなものでしょう。

      Evernoteだって、画像をテキスト化して読み出せるということは

      Evernoteの中にそのテキストは保管されているわけだから

      それをEvernoteがデータベース化していないなんて言い切れる?

       

      Googleだろうが、Yahooだろうが、Evernoteだろうが

      オンラインストレージの危険性はどこも一緒。

       

       

      Evernoteは、一度有料化すると、もう逃げられないシステムだ。

      だって、一年も有料していたら、とんでもない量のノートを保管していて、

      『やめる』ことができなくなる。

       

      そんな大量の画像をいっきにダウンロードするだけのHDがなければそうなる。

      そして、間違いなく、『ゴミ』も大量にたまっていく。

       

      HDに溜めていれば、パソコン買い換えのたびに捨てられるかもしれない情報が、

      Evernoteにはたまっていく。

      ごみ箱を有料で買っているようなものだ。

       

      そして、その『ゴミ』も『管理』したくなって、タグ付けとかいろいろ血道をあげることになる。

      ゴミに時間とお金を割くのは、人生の無駄である。

       

       

      大体が、『本当に大事なもの』ってEvernoteに保管しないでしょう?

      部外秘とか社外秘とか、自分外秘とか。

      なら、Evernoteに保管するものは、二次的に大事なものということになる。

      二次的に大事なものということは、たいがい旬があって

      旬が過ぎるといらないものだ。

       

      私はこれまで、けっこうな量の『データ管理』をする必要性に迫られてきた。

      • 自分の作品の管理(200以上)
      • 自分の習作の管理。(3dアイテムとか、2Dの絵とか)
      • ネタの管理(無数)
      • 素材集の管理(無数)
      • ゲームの中のデータの管理。(20ギガぐらい)
      • Daz Studioのデータの管理。(2300個)

       

      自分の作品の管理はなんとかなる。

      • 一度に増えたものではないし
      • カテゴリをまとめればいいし
      • 再利用の可能性が少ないから。

      つまりは『終わったデータ』だから、よしんば管理できていなくても気にならない。

       

      ただ、他の管理は『これから使っていくため』に『集めた』データだ。

       

      Daz Studio4.6のデータも膨大でどうしようかと思っているけれど

      3dで作ったデータが行方不明になっている(笑)

      キースの髪のデータがどこにあるのかわからないのだ。

      それと、以前Shadeで作ったル・アのデータも、わからない。

      馬鹿馬鹿しい話だが本当だ。

       

      ル・アのデータ、見つけた。良かった♪

       

      こんなふうに、けっこう行方不明になるものが多い。

      この管理をどこかにたくせないかと、いろいろ管理方法を漁っているが

      ピンと来るものがあまりなくて現在にいたる。

       

      そんな状態で、Evernoteなんて使ったら、ゴミで埋まるに決まってる。

       

      実際、以前Evernoteを使ったときは、ネット上のクリップをためていたが

      そんなもの、今までも一度も読み返したことなんてなかった。

       

      次から次から情報は新しくなるから、

      その都度検索した方が新鮮な情報にあたる。

      過去のブクマってのは、ほとんど役に立たない。

      大体、サイトが無くなっていることすらある。

       

      最近は、ニュースのクリップなんてものはすっぱりやめて

      how toだけをブクマしている。

      131121_D 天川和香 Create3D3591

      ハウツーは、ソフトのバージョンが上がっても

      ある程度は使えるし、

      ←このブクマだと、フォルダに頁を追加したときに、上の方に持ってくる。

      すると、使わないブクマが下の方にたまる。

       

      新しいものを見つけたくなくて、何をしたらいいのかわからないときは

      下の方からチュートリアルを探して、それを実践する。

       

      習熟したいソフトがたくさんあるけれど、

      どうやってスケジュールを組もうかと思ったら

      これでかたづいた。

       

      何十年とブラウザと付き合って、ようやく

      使えるブクマの方法を見つけたわけだ。

       

      過去のネット検索を考えても、

      一度読んだ文章サイトを二度読み返すことなんてない。

      つまりは、そのブクマなんていらない。

       

      画像も、ネットからダウンロードすると、それを私が使えるわけではないから

      ためる必要もない。

       

      使うデータの管理はもちろん必要だけれど

      目に入ったときに、それが将来必要かどうかなんてわからないものだ。

      それをEvernoteにためたら、ものすごい数のゴミがたまっていく。

       

      昔なら、CDとかに焼いてしまって

      間違えてCDが開けなくなっても諦めがつくようなもの。

      本当に大事なものならHDの判りやすいところで管理しているのだから。

       

      そういう、旬があるようなゴミファイルのために有料化するのは、私は、イヤなんだ。

      基本的に「使用料」にお金を払うのはイヤダから。

      『レンタル』という状態は好きではない。

      少し割高でも買いとってしまいたい。

       

      今のところ、ネット上に支払うのは、サーバー使用料だけでいい。

      それと、いまのPhotoshopが使えなくなったときの、

      オンラインAdobe使用料だけにしたい(笑)

       

      今後はある程度のツールがネットオンライン使用料形式に移行しそうなので

      この考え方も将来は変わるだろうけれど、今はいやなんだ。

      Twitterの管理のためにも、Twitter管理ソフトにお金を払いたくないから

      Twitter自体をほぼやめてしまった。

      まったく支障が無いので、いらなかったんだろう。

       

      それと、私はタンスが使えない性格だ。

      クローズラックに閉まってしまうと見えなくなるので『無いもの』と認識して

      また買ってしまう。

      だから、オープンラックにしかものを収納できない。

      そして、死蔵になるものもまた、見えなくなるので『無いもの』と認識してまた買ってしまう。

       

      ゴミを捨てるのも時間がかかるので後回しにすると

      部屋がゴミであふれて

      その『ゴミの管理』で時間をとられる。

      一日一個ずつ捨てることにしている。

       

      こんな状態でEvernoteを有料化したら

      ゴミのためにお金を払うことに他ならない。

       

      私は優良なツールならお金をはらっていいと思っている。

      ただ、それがゴミを生み出すツールなら、もちろん却下だ。

      だから、使い方がわからないものにはお金は払わない。

       

       

      ということで、Evernoteの使い方がわからず、

      それでも、なんか有用なツールらしい、ということで

      無料で使える部分をどうにか使えないかと、たまにEvernoteのことを勉強する(笑)

       

       

      忘却曲線を『保存された検索』で利用できる、というのは前からネット上を見てわかってはいたんだけど

      もう一つ踏み出せなかったのが、

      『おぼえたらどうするの?』ということだった。

       

      その解決法法っぽいものを見つけた。↓

      Evernoteを忘却曲線理論を活かした暗記帳として使う方法 | 北九州の税理士事務所職員みいこ日記-ちょっといいなをたくさん

       

      『保存された検索』と『タグ』を使う、という方法。

       

      タグは、以前Evernoteを使おうとした時、ノートにタグを付けようとして挫折したものだ(笑)

       

      なぜなら、ノートにタグを振るときに、過去のタグが表示されない!

      そんな面倒臭いタグ入力ってある?

      WordPressもそうだけどさ……

       

      ということで↓解決策。

      タグを使いこなそう!タグの便利な使い方 | ねこえば!Evernote(エバーノート)の便利な使い方

       

      というわけで、タグを付けなおした。

      131121_D 天川和香 Create3D3590

       

      ん?

      忘却曲線勉強にしか使わないんだから、数字だけでいいんじゃない?

       

      この時点で

      『他にも』Evernoteを使うための準備をしていることがわかる。(笑)

       

      そして、Evernoteが突然、タグが付けられなくなった……(T_T)

      そういえば以前も、なんかそういう細かい不具合があって使わなくなったんだった。

      無料ツールってこういう『何気ない』不具合が出るから嫌いなんだ。

      いくらかお金を払ってちゃんとしてくれるならそっちの方がいい。

       

      ただ、Evernoteは有料化してもソフトが変わるわけではないようなので、

      やはり有料化する気は無い。

       

      ついでに、Evernoteって、画像だけポンポンアップロードすることはできんのかね?

      イチイチノートつくらなきゃいけないの?

      今、この忘却曲線用画像が数十枚あるんだけど。

       

      めんどくせ……

       

       

      こうやってまた、Evernoteを使う機会が遠ざかるのだ。

       

      忘却曲線によって画像をスライドショーしてくれるツールがほしい。

       

       

       

      Enjoy!&Thank you♪

       

      2013_11_21(木) pm00:13

      category:Evernote | by:晶山嵐 Ran Syouyamacomments(0)trackbacks(0) | -|
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        両親が中国地方に旅行に行ってた。

        2013.11.24 Sunday 03:44 晶山嵐 Ran Syouyama 日記

        その間、私は断食したり、残り物をつついたり、豆乳だけ飲んでいり、断食したりしていた。

        二日、水だけ飲んでた。

        へんなかたちだけど超美味しいプラム

        最近太ったので、断食するから何も作っていかなくていいよ、と言っていたので

        断食は予定の内だったんだけれど

        近く食べないと腐ってしまう残り物が20センチ皿で二皿あった……

        いつもなら、ほとんど無いのに。

         

        この旅行中に私が断食する、と以前から言っていたために

        母が多めに料理を作っていたのだ。

         

        そして、両親が旅行から帰ってくると、その日はお寿司を食べに行くことが定番だ。

        今回も、帰ったらその日はお寿司! と母が言っていた。

         

         

        さっき、母にメールを打った。

        「帰ってくるの、今日だっけ?」

         

        母からの返信。

        131121_D 天川和香 Create3D3603

         

        やったー蟹ーっ♪ ヽ(´▽`)ノ

         

        じゃなくてっ!

        今日はお寿司なんじゃないの!

        なんで蟹買ってくるの!

         

        蟹とか海老とか鮮度のあるものは当日食べたい私。

         

        母はいま一つ、『食品の鮮度』というものがわからないっぽい。

        冷蔵庫の中でとっても熟成して、「腐るからた食べて〜」とか泣きついてくる。

        いや、その苺、一週間前からあったよね!

        いつ出してくれるのかと思ってたんだけどっ!

         

        美味しい内に出してよ!

         

        ということが日常茶飯事。

         

        わざわざ悪くしてから出すのやめてほしい。

        今日食べられない生ものは今日買わないのっ!

         

         

         

         

        お願いです、母上様。

         

        そんな必死に

        娘を太らそうとしないでください。

         

         

        マジで。

         

         

         

        Enjoy!&Thank you♪

        2013_11_21(木) pm00:44

        category:日記 | by:晶山嵐 Ran Syouyamacomments(0)trackbacks(0) | -|
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          片づけがいやなら、モノを捨てるといい。

          片付けるためには「整理しない」のがコツ-優秀なあの人の机が“きたない”理由:日経ウーマンオンライン【自分が変わる!生活が変わる習慣心理学】

          どんなに有能であっても、あまりに多くのモノがあれば、整理整頓は非常に難しくなります。

          モノさえ少なければ整理など簡単なのです。

           

          そんなことはわかってるんだ。

          でも、『溜めて』こそ価値あるものってのもある。

           

          素材集なんてその典型例だ。

          それをどうやって管理するのか、私はずっと方法を見つけようとしている。

           

           

          日常のものは、一つずつ捨てる癖がもうついたので、減ってきているし

          「どうせ捨てるし」と思うので、買わなくなった。

          ここ三年ほど、パソコン関係と本以外は買っていない。

           

          それでも困っていない。

          生活なんてそんなもんだ。

           

          ゴミにお金を払うのが一番嫌いな行為だけれど、

          『どうせすてるもの』を買うのも、同じ行為だ。

           

          つまりは、「今、気分を明るくするために買う」という行動は

          結果的にゴミを生み出し、ストレスを生む。

           

          ストレス発散で買物をすることを止めはしないが

          実生活で容量が増えるものは止した方がいい。

           

          つまりは、オンライン上で、データで買えるものに向けるとあとが楽になる。

           

          データで買えるものは、テキストで検索して管理が簡単だからだ。

           

           

          昔、文房具屋へいって、五千円分ぐらい文房具を買ってくる、ということを

          けっこうなペースでしたことがあった。

           

          大きな文房具屋は楽しい。

          新しいアイテムを見るとワクワクする。

           

          けれど、私は事務屋ではない。

          その文房具はまず使わない。

           

          それが2、3回してわかったのに、その買物が止められなかった。

           

          あとになってわかったことだけれど

          女のストレス発散方法の一つだったらしい。

           

          • しゃべる。(会話である必要はない)
          • 買物をする。
          • 食べる。

           

          この三つで、女はストレス発散できるらしい。

           

          だから、「女の会話」は支離滅裂で結果を求めない。

          相談しているように見せて『解決』が目的なのではなく

          『しゃべる』ことが目的だからだ。

           

          だから、それにうっかり『解決方法』なんてまじめに提案すると不況を買うという

          不条理な目に遭う。(笑)

           

          女は、口にした時点で解決策なんて大体わかってる。

          『したくない』からそれをしないだけであって

          他人から提案されたくないんだ。

           

          男の人は、女の人のしゃべりを聞くときは

          「今日もよくしゃべっている。ご機嫌よさそうだ。この機嫌が続けばいい♪」と思って頷こう。

          決して、解決策を提案してはいけない(笑)ホントに。

           

           

          話を戻して

          私が文房具を買っていたのは、『買物』でストレスを発散するためだったのだと思う。

           

          それは100円ショップに移ったり、本になったり、いろいろだが

          やっぱり、『ある程度の金額を使うこと』が収まる気配はない。

           

          そうしてものが増え続けた。

           

          11回引っ越しをして、けっきょく実家に帰ってきたが

          その最後の引っ越しの時

          市役所に電話して、2トントラックで廃棄物を引き取ってもらった。

          2100円だったと思う。

           

          それで、二トン分の『ゴミ』を捨てた。

           

          ああ、このゴミを溜めるために、私は部屋を借り、管理や掃除に時間がかかり

          お金を使ってきたのか……

           

          バリバリバリバリバリッ!

          と、『私が買ってきたもの』を破壊される音を聞いて、私はやっとそれを納得した。

           

          それからは、ほぼ、まったくものを買わなくなった。

          もちろん、本は別だけれど、それも数が減った。

           

          『引っ越すときに捨てていくもの』がもう事前にわかるから

          それを買わなくなったんだ。

           

           

          ほんとうに、あの、ごみ処理者に『ゴミ』が破壊されていく音は

          考え方を変えてくれたありがたい衝撃音だった。

           

          それでも

          買物はしたい。

          その『心理』は止まらない。

           

          それが一時本に向って、

          アマゾンで毎日のように本を買っていたことがあった。

           

          結局、読まずに積んでいて、場所を圧迫して困っている。

          一応買ったものだからよみたいんだけれど、その気力が沸かない。

           

           

          そして、3dに傾倒した今、その『買いたい』欲求を向ける方向を見つけた。

          『素材』を買う

          という方向に。

           

          以前、このブログでも、3dブログを作る前にたまに記事にした

          Daz3Dというサイトの商品だ。

           

          今、ちょうど↓こういう醤油顔男性フィギアが売り出されたところ。

          私はこういうフィギアを使って、挿絵を作ったり、動画を作ろうとしているわけだけれど

          簡単に言うと、パソコンの中でお人形遊びができる、ということだ。

          しかも↑こんなリアルテイストのイケメンを使って(笑)

           

          人体フィギアはこんな感じ。↓

          【DAZ特集】基本人体フィギア | Create3D

          これに着せる服とか、家とか、自作してもいいけれど

          このサイトでも買える。

           

          廃墟もあれば

          City Ruins Building 03

          City

          【DAZ】廃墟特集 | Create3D

           

          グロもある。

           Severed Man

          【DAZ】3Dでグロやりたい人向け特集【残虐・猟奇・血みどろ・拷問】 | Create3D

           

          豪邸もある♪

           Baroque Grandeur

          【DAZ 特集】豪邸 Baroque Grandeur(バロックグレンジャー) シリーズ | Create3D

           

          これらが、リカチャン人形のセットを買うよりは安い価格で入手できる。

          Daz3Dは英語ソフトだが、四万円ほどするPoserと似た機能を持っているけど無料だ。

           

          私のサイトで、日本語チュートリアルも作っている(笑)

          131121_D 天川和香 Create3D3592

          Daz特集 | Create3D

           

          お人形遊びをするように、このソフトの中でアイテムを並べて絵にすることもできる。

          というか、そういうのを集めて『絵にする』のがこのソフトの元々の使い方だ。

           

          Daz Studioを使って、二日で作ったものだ(笑)

          二日で100枚のイラストが上がる、Daz Studioスゲー、と自分でも思った。

           

          ↓この同人誌の表紙や挿絵も、全部Daz Studioで作った。

          こういう『漫画絵』にするツールも、Daz Studioにある。

           

          そして、Daz3Dで買ったアイテムは、

          『絵にしたら(レンダリングしたら)』商用利用可能、という大前提がある。

           

          同人だろうが、商業漫画だろうが使えるわけだ。

           

           

          どうせ買物をするなら、こういうのを買ったら、

          リアル生活の『収納』スペースを圧迫しない。

           

          二万円の服を10着買ったら二十万円。

          でも、その服、全部着てる?

          収納に困ってない?

          結局、着ずに捨ててない?

          捨てられなくて、置き場所に困ってない?

           

          どうせ使わないものを買うなら、パソコンの中で完結させたら、いいんじゃん?

           

          私は最近、そっちに『買物ストレス』を向けたので、実生活ではものが増えなくなった。

          Daz Studioで使える『データを買う』という方式にしたのだ。

           

          データの管理には困っているが(笑)実生活でリアルスペースを占有しないし

          データはのちのち仕事で使える(Daz Studioのデータは、レンダリングは商用利用可能)ので

          『趣味』に特化した買物でも無い。

           

          そう思うと、買物をしたあと「これどうするよ……」という罪悪感とか、困惑が減る。

           

          ついでに、Daz3Dは頻繁にセールをするので、なんか、ワクワクするんだ♪

           

          Daz3Dは英語サイトだけど心配ない。

          【Daz3D 新製品】Michael 6関連商品大量入荷〜♪ | Create3D

          ↑私がこんなふうに、毎日の新商品を日本語で紹介している(笑)

           

           

          お人形遊びのついでにイラストも作れちゃうんだぜ?

          Daz3Dで一緒に遊ぼう♪

           

           

           

          話を戻して、

          本当に、私はDaz3DとAmazon以外で買物しなくなった。

           

          部屋にものが増えなくなって、凄く、精神的にゆとりが増えた。

           

          本当に必要なものなんて、わずかなんだ。

           

           

          今、一日一個ずつ、使っていないものを捨てている。

          それが全部無くなったとき、もっと部屋の掃除は楽になるし、

          整理整頓で悩む時間はなくなる。

           

           

          『買物をしたい』という心理はネット上の素材データに向ける。

           

          これだけの話しだったんだ。

           

          趣味をリアル世界じゃなくて、パソコンの中に向ける(笑)

          自分をお人形にしてお人形遊びをしたいと思うから、服が増えて困るけど

          パソコンの中のフィギアに服を買っても、リアルスペースは占有しない。

           

          『どうせ着ない服』なら、そっちの方が建設的だと、私は思う。

          (着る服は買うといい)

           

          カワイイ服が『ほしい』。

          綺麗な服を『買いたい』。

          これは、女にとって、捨てられない心理だと思う。

           

          そういう心理は、データ販売を購入することで、リアル世界を圧迫せずに『楽しめる』。

          131121_D 天川和香 Create3D3594131121_D 天川和香 Create3D3595

          Dazで売ってる服の一覧。

           

          131121_D 天川和香 Create3D3596

          エジプト風もあれば

           

           

          131121_D 天川和香 Create3D3597

          ファンタジーもある。

           

          131121_D 天川和香 Create3D3599

          ゴスもあれば、

           

           

          131121_D 天川和香 Create3D3600

          SF

           

           

          131121_D 天川和香 Create3D3601

          ベルサイユ宮殿で遊ぶこともできる

           

          どんな世界でも構築できるよ♪

           

          そして、それをイラストとして書き出すことができるよ♪

          そのイラストは販売できるよ。

          動画も作れるしね。

           

          ちょうど、昨日作った裸踊りがあるのでさらしておく(笑)

          【Daz Studio4.6】Michael6 【レビュー】男性器の使い方。 | Create3Dより)

          これぐらいなら、一分で作れる。

          (動画として書き出すのは十分ぐらいかかる)

           

          もちろん、フィギアをいじってマイキャラも作れる。

          ↑これがDaz3Dの中で動く。

          ↑は↓この右側の人を作ってみた。

          TIGER&BUNNY 公式ガイドブック  HERO gossips

           

          ↓そしてこんな感じでイラストにできる♪

          【タイバニ】モテ仕種で童貞キースを陥とす!【空虎】【ぱらぱら絵】 by 晶山嵐 on pixiv

           

          絵が下手とか悩む必要はもうない。

          3dで作ってしまえば、デッサンは絶対に狂わない!(笑)マジで。

           

          趣味と実益があって、リアル生活の収納を圧迫しない買物!

          データ販売っ!

           

          いいよぉ♪

           

           

           

           

           

           

          服って、本当に、邪魔なんだよ。

           

           

          私は、バスタオルフェチでもあるので、リネン類もたくさんある。

          昔、って今でもそうッポイけど

          うちの家は、家族で一枚のバスタオルを使う。

           

          だから、最後にお風呂に入ると、すでに体をふくためのタオルは濡れている……

           

          それがイヤだったんだろう、独り暮らしした瞬間、ものすごい数のタオルを買っていた。

          一気に買ったんじゃなく、フェリシモのいくつかのタオルを毎月買っていただけだけれど、

          ずいぶん前に買ったものなのに今でも使っている。

          フェリシモの製品は信用している。

           

          一人で使い切れんやろうっ! とうい数のタオルがたまってようやく

          フェリシモの通販をやめた。

           

          結局は『買物をしたい』欲が、実用的なタオル類に向いていたのだと思う。

          それは今でも使っているので無駄な買物だとは思っていないが、

          これが他にむくと大変なことになる。

          というか、なっていた。

           

          100均にはまったときは、なんか変なアイテムがどんどん部屋に増えた。

          部屋は埃とゴミで埋まって、布団を敷くスペースすら確保するのが大変だった。

           

           

          性格は、変わらない。

           

          その性格を、良い方向に向けるか、悪い方向に向けるか。

          ただ、それだけで、人生は180度変わる。

           

           

          キンドルのようなものを買って

          本を電子出版で入手するのも一案だと思う。

           

          私は、本はお風呂で読みたいので、どうしてもリアル紙の本がほしいからそれはしていないけれど

          データ販売物を、『収納』と言う面で見つめてみるのはどうだろうか、と

          私は思う。

           

           

          『買物をしたい』衝動が押さえられないのなら、

          リアル収納スペースを圧迫しないデータ販売物を買う。

           

          それが、私のとった、今考える最善の行動。

          今のところ、満足している。

           

           

          Enjoy!&Thank you♪

          2013_11_21(木) pm00:04

          本格的に、ネットに広告が参入してくる時代。

          2013.11.29 Friday 01:18 晶山嵐 Ran Syouyama 日記

          テレビ・放送業界がアメリカでも衰退している証拠とその原因 ? GIGAZINE

          じゃがいもとコーンのオムレツ

          もはやテレビ広告はコスパ悪くなるので、大企業がこぞってネットに広告を出してくる。

          今までの、サイドバーにバナーが出るぐらいならいいけれど

          YouTubeの、動画の前に広告とか系の

          『見ることの邪魔』になる広告なら、本当にウザい。

           

           

          宣伝全部を否定はしないんだ。

          私は、ダイレクトメールが大好きで(笑)

          時事切々と、年齢や時期に応じた広告が勝手に無料で届くいいサービスだと思ってる。

          そのDMの商品を買うかどうかは別にして

          ああ、そういえばそういうものがあった方がいいなぁ、と思い出す、風物詩みたいな扱いだ。

           

          テレビのCMも、『トイレタイム』だと昔は思えた。

           

          ただ、今は、もう、完全に、『広告を見せるために番組が存在する』のが

          表立ってわかるようになって、たまに腹が立つ。

           

          ラストのクライマックスで、数分の間に何回CMを入れる気なんだ?

          とか。

          だから、ビデオ録画でしか観なくなって、広告料が入らなくなるんだよ?

          とか。

           

          普通に、15分に一度広告流すぐらいなら、観てたのにさ。

           

          私は、基本的に録画でしかテレビを見ないので、テレビCMというものにとんとお目にかかった覚えがない。

          『情報収集』のために録画しているものは特に、

          コメンテーターとか司会のしゃべりを跳ばして、編集された映像だけ観ていることが多い。

           

          そんなだから、YouTubeで広告が入ったときに、ものすごく肚が立った。

          もう慣れてしまったけれど、

          テレビの15秒と、ネット上の15秒は意味が違うんだよ。

           

          垂れ流し番組で放送される15秒と

          『見ようとしてみている』動画の15秒は重さが月とスッポン。

           

          こういうウザさが、今後も出てくるのかとうんざりする。

           

          今でも、無料ブログの下に黒い透けたのが出て、そこに広告が表示されるのがウザい。

          何がウザいって、その黒く透けた部分に文字が隠れること。

           

          そのまま画面が狭くなってくれたらいいんだけど、

          スクロールバーで一画面下にスクロールすると、その部分が見えないまま、下に行ってしまう。

          だから、その広告を消して、その部分を読んでからしかスクロールできない。

           

          『表示』はかまわないんだよ。

          無料でサーバー借りてるんだから(それがイヤで、私は有料サーバー借りてるけど)

          『見ることの邪魔』をされるのがたまらない。

           

          この黒いのも、画面が狭まって、スクロールしても、広告部分の文字が普通に観られるんならいいんだよ。

          広告を消す動作の方が私は邪魔臭いから、ずっと表示したままにする。

          ただ、今だと、『広告を消す』ことをしないと、文字が読めないから

          その動作をするときに、「この広告メ!(怒)」となるんだよ。

           

          最近は無意識にしてるから、広告も観てないけどさ。

           

          ネット広告を出稿する企業に言いたい。

           

          テレビCMと違って、ネット広告は、

          『出すことで嫌われる』可能性がある、ということ。

           

          テレビとは違って、ネット上は『垂れ流し』で観てる人の割合は少ない。

          だから『垂れ流し洗脳』はできない。

          (Twitterとかラインはしらんけど)

           

          『情報を取得しよう』としている人の邪魔をすると

          嫌われるんだよ? わかってる?

           

          動くバナーとか、本当に邪魔だから。

          手でそこを隠してテキスト読んでたりするから、無駄だから。

           

           

          テレビでは目立った方がいいけど

          『垂れ流し洗脳』するなら、目立たないようにして『表示時間を長くする』方がいいんだよ。

           

          イヤな広告の会社は、スーパーに行ったときに

          「ああ、あのイヤな広告のあれか」って、絶対外すから。

           

          ちなみに、私がYahooメールをやめたきっかけは

          Gmailを知ったってのもあるんだけど

          Yahooメールの広告がウザかったからだ。

           

          Gmailも広告は出るけど、テキストだけだから。

          しかも、けっこうクリックするんだ私(笑)

           

           

          前述したけど、私は、DMとか好きだ。

          ほしいときにほしい情報が出てきてくれればクリックするし、購入する。

           

          閲覧の邪魔をしないで。

          • ピカピカしないで。ウザい。→不買。
          • 大きなスペースで同じCM何カ月も表示するのやめて、飽きる、苦痛→不買
          • テキストを隠さないで。→怒る→不買

          望むことはこれだけ。

           

           

          私の好きな広告。

          • 箇条書きされていて、内容が直ぐわかる巨大バナー。(ロリポップの投稿画面にあるのとか)
          • 関連サイトに関連広告がされているバナー。
          • デザインがいいバナー。

           

          ↑ここらへんはクリックする。

          特に、ロリポップの投稿画面にある広告は、よくクリックする。

          内容がバナーで説明されていて、『先に何があるのかわかる』から。

          しかも、『ツール』が多い。

          ツールは大好きだ♪

           

          Yahooメールに、延々と石鹸の広告が載っていたのはもう、見たくなかった(;△;)

          Yahooメール開きたくないほど、見たくなかったんだ。

           

           

          デザイナーさんのサイトに、デザイナー関係の書籍のバナーがあったらクリックする。

          建築業者さんのサイトに、建築関係の書籍があったらクリックする。

           

          デザイナーさんのサイトに、ノンバンクのCMがあると

          「この人はお金が足りないのかー」と思う。(笑)

           

           

          そのサイトにあった広告なら、なんとも思わないんだ。

           

          あと、個人追跡広告。(笑)

           

          まぁ、怖いと思う人も多いんだろうと思うけど

          アマゾンでいうなら、アマゾンで私がクリックしたのを記録されていて

          他のサイトに行ったときに、その本が表示されていたら買う確率は高い。

          あ、そうそう、忘れてた、とか思って(笑)

           

          (アマゾンがそんなことしてるかどうかは知らない)

           

           

          是非、『好かれる』形で、ネット広告に参入してほしい。

           

           

          全広告を否定しているわけじゃないの。

          広告があるから『無料で使える』ことの恩恵を、私は受けているから。

           

          私は有料サーバーを借りているけれど

          そこまでしたくない人の方が多いのは理解している。

          私も、最初はそうだったから。

          そういう人たちは、有料だと情報を出してくれなかったと思う。

           

          無料ブログがこれだけ普及したから、さまざまなチュートリアルはハウツーが

          ネット上にあふれてくれるようになった。

          それは、広告のおかげ。

           

           

          以前は、テレビで流れたことが流行した。

          ただ、情報ですら飽食の現代では、趣味が多様化して、

          すでにテレビでは情報発信が追いつかない、という状態は、十年以上前から危惧されていた。

          そして、今は、ネットが普及したせいで、趣味がさらに多様化。

          もう、テレビじゃ無理。

           

          テレビ観てるより、友人のツイートやライン追い駆けてる方が楽しい。(人が多いっぽい)

          趣味のサイト検索してる方が楽しい。

           

          となると、『テレビが趣味』、『ながらテレビ』の人の確率が、以前より増えた。

          そして、テレビ広告のコスパが悪くなって、スポンサー料が減り、番組に使えるお金が減った。

           

          だからこそ『録画して見るほどではない番組』でないといけなくなった。

          録画して見る番組は、広告を飛ばされてしまうから。

          『イイ番組』を作るより、テキトー番組を作る方が、広告コスパが良いという、逆転現象が起きている。

           

          1. イイ番組が減るから、余計にみんなネットに傾倒する。
          2. テレビ画面にネットを繋いで、ネットを閲覧できるようにさえなってきている。
          3. テレビ広告のコスパが悪くなる。
          4. ネット広告にもっと進出してくる。←今ココ。

           

          あんまりネット広告が激しくなると、RSSでサイト観ちゃうよ?

          RSSでサイトを閲覧すると、ブログのサイドバーとかの広告は表示されないんだよ?

           

          まぁ、すでに、RSSに広告を出せるツールも出てるけどさ。

          ネット上の広告を消すためのツールも出ている。

           

          Firefoxだと↓このアドオンで広告を消せる。

          広告を非表示!Firefoxのアドオン「Adblock Plus」の使い方!

           

          ねぇ、広告主の人知ってる?

          ネット上の広告は、消せるんだよ?

          テレビの録画ジャンプと同じで、広告出稿量の無駄かもしれないんだよ?

          (表示されないなら、表示回数ごとの出稿料は上がらないのかもしれないけど)

           

          ってなると、確実に『観られる』YouTubeに広告が集中するんだろうな……

          まぁいいや、慣れよう。無視しよう。

           

          いちいちイライラしていても仕方がない。

           

          テレビが面白くなって、広告がテレビに戻ってくれたらいいのに。

          実際、面白い番組はまだまだあるんだしさ……

          (でも、その番組録画して観てるから、広告は観てない(笑))

           

          広告の未来かー。

          またGoogleの一人勝ちなのかな。

           

           

          Enjoy!&Thank you♪

          2013_11_27(水) am10:17

          category:日記 | by:晶山嵐 Ran Syouyamacomments(0)trackbacks(0) | -|
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            ..
            ↓3D関係は↓
            ↓こちらに引っ越しました。↓

            3DCG制作作業日記
            -天川和香-WakaAmakawa

            今後、こちらに3D関係の記事は上がりません。

            今後、3Dの記事はこちらから削除していきます。

            ●小説のプロットに何のソフトを使うか。

            ●小説を書くために



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