私の家は両親とも正社員の共働きで、両方ともに夜勤があった。
子供の頃から、食事はどちらかの親と私で二人、ということが多かった。
三人で夕食を囲むことはマレで、
私が中学生までは会社も、二人の夜勤をずらしてくれることに協力してくれたけれど
高校生になったら一人で寝れるだろう、とその手間を省かれたらしい。
私が下校しても、明日の昼まで両親がいない、ということがザラにあった。
私はそれが当然の家で育っているから
テレビドラマの生活が不思議だった。
子供が帰って来たら、必ずお母さんが迎えてくれて
毎晩お父さんが帰宅する。
それが『普通』だと知らなかった。
しかも、その当時は共働きというのは珍しかったので
親戚の集まりに行くと必ず
「お母さんが家にいないなんてかわいそうに」と言われた。
共働きだからうちの家はけっこう裕福で、
母は父に出す小遣いで悩んだこともないし、しょっちゅう旅行に行くし
ごはんは美味しいし、
なにが『かわいそう』なのか、子供の頃はわからなかったし
大人になっても、勝手に他人をかわいそうがるな、と憤慨していた。
母は人との付き合いが苦手なので、私が友人を家に呼ぶのも嫌がったし、
誰かが遊びに来たら、一切顔を見せない人だった。
それが普通だった。
その当時、一番私が遊びに行く家もそうだった。
一切、両親は出て来なかった。
ただ、その家の応接間でパソコンゲームで遊んでいると、必ずそこに『おじさん』がいた。
子供たちがわいわい騒いでいるのに、パジャマにガウンで、ソファーに転がっている。
挨拶もしなければ話しかけてもこない。
変わった人だなぁ。お父さんは仕事中だと言うので親戚の人かな、と思ってたら
実は幽霊だったと、数十年してから発覚した。
そんなだったから、
子供たちが遊びに行くと、ご馳走を振る舞ってくれる家が不思議だった。
申し訳ないので、行かないようになった。
子供と遊びにいっているのであって、お母さんに手間を掛けさせるのは辛かった。
うちの家は、中元歳暮も関係ない家だった。
『義理ゴト』ということを知らずに育った。
『義理ゴト』が大事なのだと、30歳前になるまで、私は気付かなかった。
本当に、申し訳ない。
まったく『知らなかった』から、直すも直さないもなかった。
ちさろうの家に遊びに行ったときに、ちさろうのお母さんが言っていたらしい。
「あの子はウチに遊びに来て、私たちに挨拶に来ないね」と。
ウチの家では、母は子供たちにノータッチだったから、挨拶に行かないのが本当だと、思って育ったんだ。
その辺が、すっぽり抜け落ちていたことを、その時に初めて気付いた。
とても、恥ずかしかった。
人に何かを渡す時に、『ちょっと包んで渡す』という礼儀も知らなかった。
他人に気を使う、というのが、何をすればよいのかわからなかった。
その時はネットどころか、コンピュータ自体、民間のものではなかったし
テレビでそんなことをやっているのを見つけられなかったし
そのことに関して、本を買うお金を捻出する心づもりはまったくなかった。
自分が確実に、社会人として欠格している、と気付いたのは
やっぱり、ちさろうと知り合ってからになる。
それまで、そんな深い友人がいなかった。
学校の友人は、年度が変わり、クラスが変わると疎遠になり
そのクラスの子と仲よくなる。また来年には疎遠になる。
それを、変だとも思わなかったけれど、
来年別れるのなら、今年仲よくしなくていいや、と
友人を作るのを面倒臭がる性格でもあったので
年度を越えて付き合える友情を育てることがなかった。
そこまでの人格がなかった。
他人を重要だと、思っていなかった。
そんな私に、「だめだよ」と教えてくれる人もいなかった。
お一人だけ、私の小説について駄目だしをしてくださる人が
読者さんの中にいてくださって、
本を出すたびに編集さんのように修正案をいただいたのだけれど、
その時の私は、バカだったからそれをうっとうしいと思って大事にしなかった。
今こそ、その人の存在がほしい。
私の小説に駄目だしをしてくれる人がほしい。
のどから手が出るほどほしい。
結果は売上でわかる。
面白ければ売上はあがるし、面白くなければ下がる。
けれど、小説の細かい修正は、それではできない。
私は、『文章』を本格的に勉強したことが無い。
三流商業高校の高卒で、国語の古文すら授業になかった。
前にも書いたように、小説に関する本を読んだことも無い。
ヒトサマの小説も滅多に読まない。
そしていまさら、小説の解説書を読む気も無い。
ただ、商業誌を誘っていただいて『赤狼』を出した後
Just Right!という校正ソフトを使って初めして知った
私の、乱暴な単語使い。
なんて無造作に言葉を使っていたのかと、愕然とした。
よくこんな状態の文章を書いた奴をスカウトしてくださったな、と
編集さんに感謝した。
そこで誘ってもらわなければ、私は今も、Just Right!を知らず
めちゃくちゃな文章を書き続けていただろう。
今より、もっと劣悪な文章を。
小説についてはどうでもいいけれど
『日本語』を勉強したい、とは、思った。
でも、どうしたらいいか判らないまま、棚上げにして今に至る。
文章の教室があるというので、通ってみようかな、とも考えた。
今もやってるならアクセスしてみようかな。
そのほかにも、同人をしているとき、何度か『手を組まないか』と言われたことがあった。
私は一人になれていたので全部大事にしなかった。
あの時、手を組んでいたらどうなっていたのかと、たまに思うことがある。
同人も私生活も知っている
ちさろうの存在は、私の中で、とても、大きい。
家族以外の他人が、自分以上に大事だと教えてくれたのは、彼女だ。
それまでの友人も大事でなかったわけではないけれど、
誘ってもらうことのありがたみもわからないから、ちょっと気分が悪いとドタキャンし続けた。
それでも誘い続けてくれた彼女たちに今は感謝しかない。
私は自転車でアチコチ行くのが好きで、
子供の頃から、日曜日ともなると往復20キロほどうろうろしていた。
その時に、悪い癖があったのだ。
自転車のペダルを漕ぐタイミングを、他に合わせないと気が済まない、という癖。
たとえば、柵があったら、その柵の軸に右足の踏み込みをあわせなければいけない。
道路を走っていたら、中央の白線の始まりの位置に、右足の踏み込みを合わせなければいけない。
脅迫神経症に似たものだったと思う。
今思えば、それがいやだから、それが無い場所……田舎の方まで走っていたのではないだろうか。
私の近所のみんな『柵』がどこかしらにある。遠くには無い場所の方が多かったから。
その癖に、小学校高学年の時に気付いた。
「なんで私は、柵なんかに私の行動を合わせているの?」
自分で自分に問うた時、私の回答はこれだった。
「だって、怖いやん」
自分の答えが不思議だった。
何が怖い?
柵や白線がかみついてくるわけでも無いのに。
その時、幼いころに影におびえて泣いたことを思い出した。
小学校に入る前、タンスの上に影が出ていて、それが怖くて火がついたように泣いたのだ。
両親はおぼえていないらしい。私もなぜ思い出したのかわからない。
数年前、そのことを思い出して、ふと気付いた。
それは夜だった筈だ。
照明は天井に裸電球が一つ。
電球の位置はタンスより高い。
どうして、タンスの上に影ができた?
とりあえず、それは考えても仕方がないので放置して
自転車のことを考えた。
柵に合わせて自転車を漕ぐ方が危険だ。
自分のペースで漕いでいないと、咄嗟に方向転換するときに力が入らない。
柵も白線も、私にかみついては来ない。こんなことに意味はない。
自分に言い聞かせて、そのあとしばらくして、気にならなくなった。
中学生の頃、指の皮をむく悪癖が出た。
ささくれを引っ張って剥ぐとか、そんなかわいらしいことではなく
指の白い部分から指の腹に向ってべりっと剥いでしまう。
血が出ることはまれだけれど、指先はいつも薄皮一枚向けた状態だった。
全部の指がそれで、ペンを持つのも痛かった。
自傷行為なのだろうと思う。
5ミリ角以上の大きさで剥けると、なんか嬉しかった。
頭がおかしかったと思う。
中学三年生の時あたりに親にばれて、家族会議されて
泣かれて、なんとか『しないように』してたけど
高校を卒業するまで断続的に続いていた。
中学一年の時から高校一年の時まで軽くいじめにあっていたのも一因かと思う。
高校を卒業してからは、爪を伸ばしてマニキュアを塗ることで、
爪が長すぎて皮を剥けない、という状況を作ることで回避した。
今では、まったく無くなった癖だ。
これらよりは軽いけれど、もう一つの悪癖は
「コレクション気質」がある、ということ。
手芸が昔から好きだったから、いろんなことをしていた。
友人のお母さんが簡単なペーパードールを作る人で、
それを教えてもらったのが、最初の手芸だったように思う。
中学校の夏の宿題で、『なにかを作ってきなさい』というのがあった(笑)
一年の頃に、リカチャン人形にかぎ針編みで、ベルサイユ時代みたいな
ふわっとしたロングドレスを着せて提出した。
二年の時は、張り子でツタンカーメンのお面を作った。
三年の時は、『地図を描け』とかいうお題だったので、マルカイテチョンを出した。
凄く立派に世界地図を模倣していたこの作品が輝いていたのをおぼえている。
リカチャン人形に服を作るためにいろいろ布も買った。
その布を買う時の理由が
「綺麗だから」だった。
そして『綺麗だから』使えなくて、摘み上がって行った。
年月がたってそれは色あせ、価値がなくなった。
価値はなくなったんだけど、それで服を作るとか、そういう気にもならなかった。
『綺麗だから』買ったときの感情が抜けなかったんだ。
それが母に見つかって
「こんな所にいい布あるやん」と、ぱぱっとリカチャンに服を作ってくれた。
『綺麗だった』布が壊れた。
あのときの衝撃は今でもおぼえている。
そして、その時に、柵に踏み込みを合わせていた子供の頃のことを思い出した。
「服を作るために買ってきた布なのに、なぜ私は服を作らなかったの?」
「綺麗だから」
「でも、服を作るために買ってきたんでしょう?」
「でも、綺麗だから、手をつけたくなかった」
その少し前、
まだ下水道が整っていなかったころ。
トイレ自体は水洗だけれど、浄化槽に溜めるタイプだった。
母は二枚つづりのトイレットペーパーを見つけていそいそと使っていた。
それがまた、ふわふわで、子供心に天国にいるように気分にさせてくれるものだった。
私はトイレに行くたびに、それをくるくる巻き取って、部屋に持って上がった。
何をするわけでもない。
『綺麗だから』『とっておいた』のだ。
トイレに行けばいつでもあるのに。
そのあと、浄化槽のくみ取りに来た人から母は言われた。
このトイレットペーパーは溶けないから使わないでくれ、と。
簡素な一枚の硬い紙に戻った。
カサカサしていた。
ああ、あの天国の紙をたくさん取っておいて良かった!
と、巻き取っていた紙を取り出してみたら
経年変化でごわごわになっていた。
『綺麗だったのに』……
そして、『何をするものでもない』のに『保管』していた。
リカチャンの服の話しに戻って、
母に、『綺麗だった』布を服にされた時、このトイレットペーパーを思い出してもう一度出してきた。
もう、『綺麗だった』面影なんて全くなかった。
ようやく、捨てられた。
そして、『綺麗だから』買ってきた布を、全部服やら鞄やらに作り変えた。
『綺麗だけど色あせた』ものが『有用なもの』に変わった。
今思えば、それらは
『美術品』でも無ければ、『見るため』でもないのに
『綺麗だから』置いておいた『ゴミ』だったのだ。
『捨て屋さん』という職業がある、とネット上で知った。
捨てられない顧客の元に赴いて、「これは不用品なのだ、捨てましょう」と解き諭し
『納得』させて捨てさせるための教師のような役目をするのだと言う。
その時、例に出ていたのは
『パッケージを捨てられない』女性だった。
テレビを買ったり、ゲームを買ったりすると、商品を包んでいる外装の箱。
それが捨てられなくて、倉庫をかりて保管していたらしい。
「だってこんなに綺麗な箱なのに!」と彼女は捨てることを拒否したらしい。
けれど『捨て屋さん』を雇ったのも彼女なのだから、それがゴミなのだとどこかでは気付いているのだろう。
たしか、二年掛けて全部捨てられ、倉庫を解約できたと書いていたように思う。
私も、似たような状態だった。
そして、その寸前にたしかこの本が出てた。
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私は、これを読んで、泣いた。
あ、私は病気だったんだ、って、気付けたことが嬉しかった。
それをちさろうに言ったら
「あれは、こんな人より私はマシでよかった、って安心するための本じゃないの?」と言われた。
「らんちゃん、こんな状態でがんばってたんやね。大変やったね。
編集とかできへんの、それちゃうん?」と言ってくれて、尚更泣けた。
今思い出しても泣いてる。
子供の頃から、通信簿に『忘れ物が多い』と書かれ続け
部屋はちらかり続け、ゴミの上にゴミが積み上がってわけのわからない状態だった。
タンスとかに『しまって』しまうとそれは『無い』ものと認識して新たに買ってくるから
オープンスペースにしか収納できないことを中学生の頃に気付いていた。
二十歳をかなりすぎても部屋は汚いままで
今でも『綺麗』ではないけれど、柔軟体操をできる程には床は『常時』見えている。
『掃除の極意』は
スケジュールに『掃除をする』と書かないこと。
本を縦にする。
本を棚に戻す。
机の上のモノを箱に入れる。
机を綺麗にする。
こんなふうに細分化して部屋の一カ所一カ所について処理していくと、
いつのまにか掃除はできている、というもの。
これに出会うまで、床なんて見たことなかった。
ラジオ体操ができるだけの床を出すのに三年掛かった。
今も未だ、部屋のぐるりをゴミが囲っているので、ちょっとずつ片づけている。
それでも、畳の上に床板を置けるぐらいに綺麗になった。
別に部屋が散らかっていても落ち着けるし、炭水化物のゴミは無いから虫がたかるわけでもなし
何が『汚い』のか、わからなかった。
けれど、床が見えて初めて、私は
「あの散らかっている部屋」が嫌いだったんだ、と気付いた。
どうしようもできないものだと思っていた。
わすれものばっかりだし、ちらかしたらかたづけられないし
事務仕事はできないし
なんて何もできないんだろう、と自分を攻めるのがイヤで
小説を書くことに没頭していたんだと思う。
何もできないわけじゃない。
私には小説がある。
それで食べて行けるだけの才能がある。
何もできないわけじゃない。
何もできないわけじゃない!
私は今、床の見える部屋で生活できている。
まだ積み上がっている本はあるし、死蔵品を捨てたいとか思いながらも
生活圏は綺麗にできている。
二十年前よりは進歩している。
昔、引っ越したときに気付いてたんだ。
引っ越した当初は何もないから、毎日掃除機を掛けていた。
シーツも毎日選択していたし、綺麗なことが気持ちよかった。
それが、修羅場に入った瞬間、掃除機をかける心理的ゆとりが無くなって、
二週間で足の踏み場が無くなった。
今思えば、なんであんなに散らかすことができたんだろう。
それからは、もう、床は見えなかった。
その時に、気付いてたんだ。
私は、綺麗な部屋を維持する能力はある。
ただ、『片づける』能力が致命的に無いだけだ、って。
片づけたり、掃除したりするのはどうしたらできるのか
本を買ったり、ネットを検索したりして、ようやく見つけた。
一気にどばっと掃除しようとするのではなく、
毎日ちょっとずつすればいいのだ、ということを。
掃除をできている人は、息をするようにできているこのことが
気付かなかったし、できなかった。
毎日一つ、モノをすてたら、一年で300個以上のモノが捨てられる。
紙や本は重ねて積み上げたら、専有面積は小さくなる。
わかっていたけれどしなかったことを、一つずつ実行して行った。
自分の負担にならないように。
もう次はしない! というような重労働にならないように。
三年たって、床が見えて
十年たって、寝ころがれるほどになった。
ようやく、ここまで、来た。
綺麗にするだけなら一週間あればできた。
けれど、それを『維持する』能力を育てなければ、
また、その一週間の掃除労力が必要になる。
少し片づけては、その『片づけた』行動を習慣化するようにした。
今、見えるようになった床は、今後二度とモノを置かない。
一カ月に一カ所ぐらいずつ。本一冊分ぐらいの幅を綺麗にしていった。
一カ月の間、この本一冊分の見えている床を維持する。
来月はもう一冊分。
今は、床全面が綺麗な状態をもう三年以上続けている。
そして、ちょっとずつ、捨てている。
捨てている間は、モノを買わないようにした。
どうせゴミになるから。
おかげでお金もたまった(笑)
ここ数年、服なんて下着以外、一枚も買っていない。
下着も、破れた分を買い足しただけ。
まぁ、パソコンにお金をかけているので、たまった、ったって
パソコン用品に消えていくけれど(笑)
パソコンにお金をかけると、処理速度が上がって
結果的に何もかもが早く終わるから、気持いい。
パソコン自体が、50万円弱している。
昔から、その当時カスタムできる最高メモリを積んだマシンを買い続けている。
メインは小説の癖に、フォトショでの待ち時間は少ない方がいいから。
たかが一カ月に一度使うか使わないかのフォトショのために、最高マシンを買い続けていた。
唯一の贅沢と言ってもいいのかもしれないので、そこは後悔していない。
そして、そのマシンに今、
50万円のMayaというソフトを買おうとしている。
フォトショでもPhotoshopCS6Extendedなの手、14万円ほどだったと思う。
こないだ買ったZBrushも9万円。
Mayaは、桁が違う……(笑)
私は多分、大きな買物をするたびに過去を振り返ってるんだろうな、と
ここまで書いて気付いた。
今までしてきたことから考えて、この大きな買物をするのは良いのか悪いのか、と。
私はやっぱり、自分の『作業環境』は『速さ』を追求したい。
お金をかけて手間を省けるのならば、お金をかけたい。
そのために飢えてもいい。
ベンチマークの1%に一喜一憂するほどではないし
自分のマシンが他のマシンに比べてどれだけはやいのかとかは知らないし、興味もない。
私のストレスが少しでも少なくなればそれでいい。
3dを本格的に初めて、ようやく一年ちょっと。
去年、初めて『Maya』というハイエンドソフトがあることを知った。
その当時は、買うことなんてまったく考えられなかった。
Daz Studioでも使い切れていないのに、高いのを買っても仕方ない、と。
それが、一年、いろいろ3dのアイテムを作っていて思った。
これではできないからあのソフトでできないか?
なら、そっちに持っていくための出力は何でしたらいい?
FBXでやっても小物の位置がずれるよ?
Blenderっていう無料で高機能のソフトがあるらしい。
使ってみたらなんでもできそうだけど、ショートカットが私のマシンでは効かないよ(T_T)
ZBrush買ったら、同じことをDaz Studio4.6で下より十倍の速さでできたよ。
ああそうだ。
私がフォトショを使い続けているのも、
いろいろソフトを渡り歩く面倒臭さを軽減するためだった。
絵に関することならフォトショで全部できる。
この、『安心感』。
フォトショでできないこともあるけれど、そんなことは微々たるモノだった。
3dソフトでも、Shade、マイホームデザイナープロ、Shadeドリームハウス、メタセコ、Hexagon、Carrara、Bryce、Daz Studioと買って
ようやくZBrushに出会った。
ものすごい速さで立体が作れるソフトなんだ。
Shadeもはやいと思ったし、Shadeが得意な分野とZBrushが得意な分野は間逆なので、ちょうどいいと思った。
そこで、Mayaを思い出した。
私は、映画を作りたい。
少し前は、私の小説が映画の原作になればいいと思っていた。
ハリウッド映画の原作になるような小説を書きたかった。
今は、自分で映像を作れるのなら、自分で映画を作りたい。
そう思うようになった。
そのちょっと前は『ゲームを作りたい』と思っていた。
だって、あんなに簡単にゲームが作れるとは思ってなかったから。
けれど、私が作りたいのは『ゲーム』ではなくて
『動いていく映像』なんだ、ということに気付いた。
サウンドノベルを考えた。
けれど、Daz Studio4.6では簡単に動画を作ることができる。
それにはまず、自分のキャラを作らなくちゃいけない。
赤狼のル・アさんから作ってみた。
動かせるようになった。
髪の毛も作っていく。
服も作っていくけれど、暫時でも、ずっとでも
DAZでアイテムを買えるので
外注するより安く部品を揃えることはできる。
独占使用ではないけれど、YouTubeで無料公開する映画だから気にしない。
こういうことをしていると
Daz Studioだけではできなくなって、いろんなソフトとの連携が必要になって
あちこちファイルで渡り歩くぐらいならMayaを買ってしまった方がいいんじゃない?
ということに思い至った。
50万円のソフトだけれど
私はあと50年生きないんだよ。
50万円はすぐに稼げるけれど、『検証』で使った時間は返って来ないんだよ。
Mayaでだめなら、今はできない。
っていう、『あきらめ』がつくじゃない?
Mayaを買わなかったら、永遠に
『Mayaだったらできるかもしれないのに……』と心のどこかでちらつくことになる。
それは、凄く、凄く、凄く……ストレスになるだろう。
Mayaの体験版を使って、ショートカットも効くし、Daz Studioで使えるアイテムは全部Mayaに持ち込めることも確認した。
今まで、Daz Studio4.6のために買ったアイテムは、何一つ無駄にはならない。
なら、何を悩む必要がある?
Mayaを習得するのは難しいよ?
勉強すればいいじゃない。
私は、今まで、自分の望む方向に自分を変えてきた。
悪癖を治し、部屋を綺麗にして、私がしたいことをできる環境を整えた。
初めてのことが手間取るのは当然のこと。
Mayaは高級ソフトだけあって、チュートリアルが充実している。
そして、私には、英語のDaz Studio4.6をある程度まで使いこなしているという自信がある。
英語を、乗り越えたんだよ。
なんでもできる。
私が『したい』とさえ思えば
私はなんでもできる。
私はそうやって、今まで生きてきた。
勉強するのは好きだ。
新しい技術が好きだ。
まず、CGが好きだ。
子供の頃から、NHKの番組で使われるCGとかを見るのがとても好きだった。
そして、子供の頃の夢の一つ。
『私好みの人形を作る』
それが、今、実現されている。
そして、小学校の卒業文集に書いた将来の夢。
『クリエイターになる』
子供の頃の夢は二つとも、実現されている。
もう一つの夢『デザイナーになる』も、自分で服を作ったり、家を造ったりするのなら
結局はかなえられることになるだろう。
私は夢をかなえたのだ。
ならば、新しい夢を描けばいい。
私は映画を作りたい。
それで楽しんでもらいたい。
私の作るものでハラハラしてもらいたい。
私のつくるものでドキドキしてもらいたい。
私のつくるもので、感動してもらいたい。
結局は、それなんだ。
手段はなんでもいい。
現時点でも、Daz Studio4.6のチュートリアルなどをブログにアップして
助かりましたありがとう、とコメントをいただけるのもとても嬉しい♪
ヒトサマの役に立ちたい。
ヒトサマに楽しんでいただきたい。
そして
私が、それを、創り出したい。
私にはその夢があったから、『片づけられない女』であることを乗り越えることができたのだと思う。
一芸に秀でることができたから、他のことは『自分に対して』目をつぶれた。
今、片づけることもあらかたできるようになったのだから、もっと高見を目指そう。
Mayaを軽々使えるようになって、普通に、何気なく映画を作れる状態になる。
第一段階の夢。
それで収入を得られればなおいい。
他でも収入を得られればなおいい。
現状でも食べては行けるから、これをどんどん増やしていくだけの話し。
去年、同人をすっぱりやめたとき、決めた。
三年間は修行の年にする、と。
それがあるから、この三年は収入がなくてもいいと思っていた。
けれど、小説を書いていたときの財産も残っているし、収入源は確保できた。
大体、小説をやめるわけではない。
武士は食わねど高楊枝、というけれど
貧すれば鈍するんだよ。
私は、二度と、借金取りの電話におびえる日々はイヤダ。
掛かってくる電話は、私への仕事のオファーと友人だけでいい(笑)
お金は、必要だ。
収入は、必要だ。
それを固めて、さらに上を目指す。
今思い出した。
このブログのタイトルに『電子出版』を挿れたのは
3dで挿絵をつけた小説を電子出版する気だったんだわ。
そのノウハウというか、メイキングをこのブログにアップするつもりでこのタイトルしたんだ。
今は、その、挿絵をつけるための3dの勉強をしていて、こっちには日記しか上がってないけど
『日記ブログ』だからそれはいいだろう、と自分に言い訳をしている。
BL作家っていつの話だよ、って感じ。
いや、BLは今後も書くけど、ここ一年まったく作品出してないし書いてない。
今は3dに必死。
3dソフトで『何ができるのか』を検証するのに一年かかったと言ってもいい。
けれど、それはもう、完了した。
ZBrushでキャラクターや服を作る手順もわかった。
今は、Mayaの操作をおぼえて、慣れて、作っていくだけ。
世の中には『ジャネーの法則』というものがあるらしい。
年をとれば取るほど、時間を短く感じる法則だという。
私は、ここ数年、毎日毎日が長くなっているのに(笑)
それは、年をとれば、ではなく、
『新しい経験をしない時間が長ければ』なのだと思う。
すでに経験したことだけを繰り返すから、面白みが無く、
ルーチンとして行動を流してしまうから『おぼえていない』ため
時間を短く感じてしまうだけだ。
私はここ一年でも凄く、毎日、勉強し続けた。
毎日新しいことをしているから、『同じ経験』を繰り返すのは生活のことだけで
毎日が、凄く、長い。
数年前でもそうだった。
たしかに過ぎてしまえばはやかったかもしれないけれど
振り返れば、年間30冊本を出していた。
決して、『何もしていない』のに『時間が過ぎた』わけではない。
私は、以前からその癖があった。
『何もしていない』ことが恐怖だったんだと思う。
自転車を漕いでいるときに柵に動きを合わせたのも
「何も考えずに漕いでいると、頭の中が空っぽになる」そのことが怖かったのじゃないか?
この記事をここまで書いていて、初めて思った。
強迫観念とか何かじゃなく、
『何もしていない状態』がイヤだから、『何かするように仕向けた』んじゃないだろうか?
現に、柵を気にせずに走るようになると、危険運転に向ったんだ(笑)
坂をブレーキをかけずに曲がってみたり、とか、漕がずにどこまですすめるかとか
今でも思い出して怖くなるのは
千里の山のてっぺんから、ノーブレーキで麓まで下りた、ということ。
よくもあの時、飛び出しとかなかったものだと震え上がる。
その時は、できたんだよ。
ノーブレーキで20分ぐらい走り続けて、最高時速は40キロを超えてた。
(私の自転車には変速と、速度メーターがついてた)
よくこけなかったし、障害物がなかった。
降りてきてはじめて怖くなって、二度としてない。
あれ以来、危険行為ができなくなった。
子供の内に、怪我をしないうちに、ヒトサマに迷惑を掛けない内に
気付けて良かったと思う。
今では裏路地に入るのも怖い(笑)
思えば私は『自分と競争』してきたんだな、と思う。
一人っ子だったのもあるんだろう。
ただ、小さいころは保育所にいたし、学童に入っていたし、人見知りしなかったので
旅行でどこに行っても、即座に隣に座った見ず知らずの子供とはしゃいでいたらしい。
母が今でも言う「私がアッチむいてコッチ向いたら、もう隣の子と友達になってた」と。
一人にしていたら、永遠にその場に座り込んで地面に絵を描いているし
目を離しても何も危険なことがなくて、育てやすかった、と。
私は『放置された』と思ったことは一度も無い。
一人なら一人で遊ぶ術を知っていたから、『寂しい』と思ったことも無い。
他人に足並みを揃える方が面倒臭くて、一人で行動する方が簡単だった。
いつも一人でいる私を、先生方は気にしてくださって、誰かと一緒にいろとか
お昼ごはんこの子と食べなさいとか言われるぐらいではあったらしい。
いや、あのですね、先生……
友達がいなくて一人でいる子を連れてきてもらっても、楽しくもなんともないんですよ。
というか、苦痛です。
一人でいたら、自分の思考にはまることができるのに
人が目の前にいると、そのことつまらない話しにあわせなきゃいけない。
どっちも趣味が合わないから天気の話ぐらいしか無い。つまらない。
しかも、その子は、愚痴しか言わない子だった。
最初は遠慮してたらしいけれど、慣れてきたらぺらぺらしゃべり始めたのはいいけれど
一分一秒他人に対する愚痴だった。
他人の愚痴に付き合うほど地獄なんて無い。
無視していたらそのうち別の子の所に行ったのでホッとした。
誰かと一緒に居ない子は『かわいそう』って思うのをやめてほしい。
一人で幸せな子もいるんだよ。
高校で同人を始め、小説を書き始めた。
もう、他人は邪魔だった。
就職しても、昼食を一人で取って、ずっとプロットを描いていた。
それを営業の人に見つかって(笑)その人がなんか言ってくれたらしい
女の子たちに昼食や就業後の喫茶店を誘われた。
愚痴大会だった。
二度と捕まるもんかと必死に逃げた。
私は多分、子供の頃から一人だったからか
『しゃべってストレスを発散する』という脳の構造ができてないんだと思う。
脈絡無く、解決策も見つけず、ただしゃべっているのは苦痛以外のナニモノでも無い。
解決策を呟くと怒るんだから始末に終えない。
もちろん、好きなことに関して話すのは好きだけれど、
話すより、私の知らないことを話してくれる人の話を聞いている方がいい。
……って、長電話で映画一本分話したり、よくしたけどね(笑)
とにかく、私のほしい知識以外の会話は、苦痛だった。
近所の人がどうだったとか、興味無い。
母との会話が一番苦痛だったと言っても過言ではない。
父は、母の会話をとてもよく聞いている上に、おぼえているのが凄い、といつも思う。
母と会話していると脳が溶けそうになる。
仕事の話をされるのも苦痛だ。
興味無い上に、同じことを壊れたテープレコーダーのように延々としゃべり続けるのを聞いているのも辛い。
母にとっては、昨日したとと今日したことだから、毎日違うと思って話しているけれど
昨日も今日も同じことをしているから、しゃべることも一緒になる。
とくに、母は今、介護の仕事をしていて、認知症の人に当たっているので、
仕事の話しというとそれになる。
以前は、担当が何人もいたので、毎日同じ話ではなかったけれど
いまは仕事を減らしているので、担当が一人か二人っぽい。
毎日同じことをする認知症の人の話を母も毎日話すので
私は毎日、すん粉違わず同じ話を聞いていることになる。
それがいやで、母と一緒に行っていた散歩も行かなくなってしまった。
私の頭がおかしくなりそうだった。
って、ここでこんなことを読まされているあなたも辛いよね、ごめんなさい。
回避策は見つけてるんだよ。
ああ、私は今、母の悩みを聞いている神父さんの気分だ。
聞けば聞くだけ、私の徳が上がるんだ。
そう思うと、楽になる。
母の話は、あくまでも『生活の一から十まで』をしゃべっているだけで
『愚痴』ではないからまだまし。
いろいろ本とかを読んで
- 女の人はしゃべることでストレスが発散できる。
- 解決策を示す必要は無い。
- 頷いてあげるだけでもいい。
ってのを聞いて、もう黙って聞いていることにした。
誰に話しても同じことなら、できれば私には話してほしくはないけれど
母には私しか居ないときがあるから、母は仕方ない。
私の母だから。
でも、こっちで必死でMayaの勉強をしているのに、洗濯に上がってきたときに
相槌を求めるのはやめてほしい(笑)
だまって聞いてるけど、ほとんど聞こえていないのに、ずっとしゃべってる。
相槌をうたなくてもしゃべっているので、それでいいのかと思ってる。
たまに「で、どうすんの?」と言われて「もう一度言って?」ってことにはなるけれど
たまに、とても『聞いてほしい』時があるらしく、パソコンを終了させてリビングに降りる。
大体は、「父が黙って何かを買ってきた」とかだったりする。
「私はこんなに倹約して、三枚千円の服を買ってるのに、二万円の服を買ってくる!」
とかで怒ってるらしい。
安いので平気なら安いのを買えばいいし
いいものが欲しければ高いものを買えばいい。
共働きだから、両親の財布は別なので、
父の稼いだ分の、父の自由にして良い分は父の好きにしたらいいとは思う。
ただ、それで、「金がない」からそれができない、ということが父には往々にしてある。
それが、母の勘に触るらしい。
私の勘にも触るので、言わないように言い続けて十年あまり、ようやくネガティブ発言が減ってきた。
前方が曇っていると
「俺が行くころには雨が降るやろうなぁ」と言う。
実際に雨が降る。困って毒づく。
私も、子供の頃は雨女だった。
私が生まれた日は小雨だったらしい。
母にも、「私とどっちかだけだったら晴れるのに、あんたら二人いると負ける!」と言われてきた。
母は典型的な晴れ女で、母が外にいるときは雨が止む。
逆に、雨が強くなってくると、父が「ヒャーッ!」と帰って来る。
昔の知人にも、「一日に一分しか降っていない雨に濡れる」と自慢げに言っていた雨女がいた。
雨男雨女って、なんであんなに「自分がいると雨が降る」と『自信』を持っているのか、と思う。
いやなら、「降らないで!」と祈ればいいのに「どうせ降るよ」と言って実際に、降る。
私は、自分の雨女はイヤだったので、ある日
「晴れて!」と祈ってみた。
降った。
次の時も「晴れて!」と祈った。降った。
「私が屋根の下から外に出ているときだけでもやんで!」と願いだした。
何回かに一度は止むようになった。
今では、私は晴れ女だ。
私のBL小説同人の『悪魔の恋人争奪戦』でも書いているけれど
雨男雨女、とか、晴れ女晴れ男、ってのは
昔は、雨乞いとかした人たちの子孫ではないかと考えている。
自分の思考で天気を左右できる能力を持っている人だと、考えている。
なぜなら
雨男晴れ女で無い人たちは『自分の存在で天気が左右できる』と考えていない。
自分の存在で天気を左右できる。
これって、今なら超能力でしょう?
雨男雨女の人たちは、それを『負の能力』だと思っているにも関わらず
自慢げだ。
(うちの父は心底嫌がっているけれど、雨が降ることに自信がある)
なぜ自慢げなのか。
昔は、雨乞いのために役に立った能力者だったから、その自信があるんじゃないの?
と、思った。
昔って言っても、雨乞いをしていたのなんて、数十年前のことなんだよ。
数百年も前のことではないんだよ。
まだ、その能力は厳然としてあるんだと思う。
そして、
私が雨女なら、私の存在で天気は変わるんだから
じゃあ、晴れになれ! って願えばかなうんじゃないの?
と考えた。
実際、かなった。
現在の私は、滅多に雨に降られることが無いし
雨が降ってても小やみになる。
『信じる』こと。
『願う』こと。
この二つで、『自分』はいくらでも変えられる。
現状に不満なのなら、
現状に不満の無い自分になればいい。
多分、この能力が私は高かったから、
汚い部屋でも気にしない性格ができたんだと思う(笑)
私は現状に不満である。
柵を気にして自転車を漕ぐのは不満である。
指先の皮を剥いてしまうのも不満である。
雨女であるのも不満である。
収入が無いのも不満である。
ソフトを満足に使えないのも不満である。
不満である、から
満足するように願い、自分を変えてきた。
まず、『変えたい自分の姿を見つける』こと。
今できないのならば『できる自分』を想像すること。
その『できる自分』になるように『願う』こと。
- 願っても叶わないかもしれないけれど
- 願わなければ、必ず、叶わない。
この方程式は『絶対』。
だから、
現状に不満なら
『満足する形』を『願う』ことが最前。
流れ星に願いを三回唱えるとかなうよ
と昔から言われますよね?
あれは、物理的に、流れ星が願いをかなえてくれるのではないのです。
この時の『流れ星』というのは『獅子座流星群』のように
「来ることが決まっている流れ星」ではなく
「突然来る流れ星」のことです。
ふと空を見上げたら流れ星が出た。
このときに『願い事』を言える。
それは、『常にその願い事を考えている』からです。
その願い事を『常に考えて』いなければ、
流れ星が出たときに『言えない』のです。
流れ星に願いを三回唱えるとかなうよ
というのは
『かなえたい願い事を、常に考えていれば叶う』ということなのです。
今、あなたの目の前に魔法のランプが突然出てきて
『願い事をなんでも三つ、かなえてあげるよ』と言われたら
あなたは何を言えるでしょうか?
最近気になっているCDがほしい、とか
給料日まで食べつなげる小遣いがほしい、とか
『日常的にちょっと困っていることの回避策』しか浮かばないのではないでしょうか?
この時に
「家族で悠々すめて、収納もたくさんあって、家庭菜園で自給自足できる庭があって、近所に格安スーパーがあって、ちゃんと宅配も届くところで、安全性の高いところで、日当たりの良いところで、太陽光パネルを設置した住み心地の良い家を、南の海辺にほしい。年間最低気温は18度ぐらい」
とか言える人は、すでにそういう家を探しているでしょう。
これが、よく成功本とかで出ている
『願いはテキスト化しろ』ということと同意なのです。
願わなければ叶わないのです。
自分を変えたいならば、
変えたい部分を見つめるのではなく、
変わった自分の姿を想像してください。
軽い自傷するのがいやなら、そこが綺麗になって、なにをしても痛くない状態を想像しましょう。
何かを気にして行動が制限されるなら、何も気にせずに悠々と行動している自分を想像しましょう。
『それ』を治したいから『それ』のことを考えるのではないのです。
『それ』を治したいなら『それが無い』状態のことを考えるのです。
『こうなりたい』のならば、『こうなりたい』姿を見つめるのであって
現状の自分を見つめてはいけません。
「あの人のように高級外車をのりまわしたい」のなら
「私はあの高級外車をのりまわしたい」と願わなければなりません。
「他人がしていること」を考えると、他人がそうなるだけで、自分はそうなれません。
「カーネギーのようになりたい」のではなく
「第二のカーネギーホールを自分が建てたい」と願うのです。
「自分の名前のついた大きなホールを建てたい」でもいいでしょう。
『デスノート』でもあったでしょう?
ノートに死を否定しても死は実行される。
ノートは否定文を理解しない。
『願い事』もそれと一緒なのです。
『否定文』を願い事は理解しないのです。
「したくないこと」+「否定」
で願い事を考えるから
「したくないこと」が実現するのです。
忘れ物を無くしたいのなら
「忘れ物をなくしたい」と願ってはいけません。
「忘れ物」+「したくない」という文章になっています。
だから、いままでも忘れ物をするのです。
「いつでも準備万端でいたい」と願わなくてはいけないのです。
『忘れ物』に焦点を当ててはいけません。
怪我をしたくないのなら
「怪我をしたくない」と願ってはいけません。
「無事で帰って来ますように」と願わなくてはいけないのです。
お母さんは子供が出かけるときに
「怪我をしないでね」というから子供が怪我をするのです。(ホントに)
「忘れ物してない?」と聞くから、子供が忘れ物をするのです。
そして、子供に対して「あんたはすぐに忘れるから」と言うから
子供はすぐに忘れるのです。
すべて、『お母さんの言葉がかなっている』ことに気づきましょう。
雨男雨女も
「自分がいるから雨が降る」というから、その願いが叶っているのです。
『言魂』というと気持わるがるかもしれませんが
人間には、そういう力が、元々そなわっているのです。
「そんなのは嘘だ」というから
こういう力があなたには働かないのです。
だって、あなたは「そんなことは実現しない」と言っている
その言葉が実現しているのですから。
「催眠暗示なんて嘘だよ」というから
あなたには催眠暗示が聞かなくて
自分の言魂で自分を変えることができないのです。
「お金がない」と言うからお金が無いのです。
「時間が無い」と言うから時間に追われるのです。
「着ていく服が無い」と言うから、そういう所に呼ばれなくなるのです。
喪服にも使えるフォーマルは、一着、持っておくべきです。
幸せになりたいのならば
いまの自分をどうにかしたい、と考えるのではなく
自分が幸せな状態を考えるのです。
何をしたらあなたは幸せですか?
美味しいごはんを食べられたとき?
高級な服を買えた時?
高級な車を買えた時?
大きな家を買えたとき?
よい友達としゃべっているとき?
仕事がとんとんと進むとき?
高級な服を買って、友人に見せびらかして悦に入っている姿を想像しましょう。
高級な車を買って、みんなの羨望の中、自分が走り回っている姿を想像しましょう。
大きな家の設計図を思い描いて、部屋数を吟味し、配置する家具を選んで、土地や、不動産屋、引っ越し業者を探しましょう。(探すだけで、アクセスしなくてもいいです)
気の合う友達と、くつろげるお店で楽しくメニューを選んで、楽しくしゃべっている姿を想像しましょう。
仕事が順調に進み、上司から褒められて昇進し、「給料が上がったぞ!」と家族に報告する姿を想像しましょう。
「できていない今」から「どうやるのか」ではなく
「できてしまったあと」のことを考えましょう。
すると、いつのまにか、「どうやるのか」は閃きます。ホントです。
人間の脳は、「願い事をかなえる手段」を見つけるための道具なのです。
あなたが「これがしたい」と言えば、「どうやったらそれがかなえられるか」を
あなたが寝ていても考えてくれて、解決策を出してくれます。
「幸せ」というのは、
椅子取りゲームの椅子ではありません。
全人類が「幸せ」を願ったときに、誰かがあぶれるようなものではありません。
みんなそれぞれに幸せの形は違っていて
それぞれの幸せをかなえるためのものはすでにこの世界に揃っているのです。
あなたが幸せになるために、誰かを不幸にすることはありません。
あなたの傍で誰かが幸せになったからと入って、あなたが不幸になることはありません。
誰かが死んでくれることが私の幸せだ、という人がいるかもしれません。
でも、本当にそうでしょうか?
その大本は「その人が自分にとって影響を及ぼさなくなる」なれば良いのではないでしょうか?
「自分が気にしなくなれば良い」のではないでしょうか?
ならば、その人がいることで影響がある、と思っている自分の心がなくなればいいのです。
他人をどうこうするのは大変ですが、自分が変わるのは簡単です。
誰かの死が悲しくて、幸せなんて想像できないのなら
その人があなたの傍にいて幸せだったときのことを考えましょう。
『いない今』ではなく、『居たとき』のことを考え、その思い出に浸ってしまえばいいです。
逆に、その人のことを全部忘れてしまうのも手段の一つです。
新しい関係を気付けば、昔の関係はたからばこのなかにしまってしまっていいのです。
故人のことを忘れることを責めているのはあなただけなのですから。
他人のために自分の人生を悪い方に狂わせてはいけません。
あなたが愛したその人は、あなたが身を持ち崩すのを願っていたのですか?
その人は、あなたが幸せであることを願ったのではないのですか?
ならば、その、あなたの大事な人の願いを、まず、かなえてあげませんか?
あなたが、幸せになりましょう。
世界人類全員が自分の幸せを願って、それがかなっても、世界はこのままなのです。
だから、あなたはあなたの幸せを願ってください。
その幸せがかなったら、また上の幸せを願ってください。
周りの人の幸せを願ってください。
そうして、どんどんどんどん幸せになってください。
特に、『ヒトサマが幸せになること』を祈ると、
「自分が幸せになること」を願うより、自分が幸せになれます♪
不思議ですけど、本当です。
人のために働くと、因果応報で、良いことも自分にまわってくるのです。
寄付をしたらその数倍の金額が返って来た、と聞いて
寄付をしてみたけど返って来ない、という人がいるかもしれません。
『自分のために寄付をした』ら、自分の自己満足しか返ってきません。
『ヒトサマノために寄付をした』から、『倍する幸せ』があなたに返ってくるのです。
娯楽産業はとても判りやすいですね。
ヒトサマに楽しんでいただいた分、自分の収入は上がるのです。
面白いから売れて、売れるから印税が入るのです。
サラリーマンやOLでも一緒です。
周りの人を助けるためにあなたはそこにいるのです。
だから『自分の仕事だけ』を片づけていると、いつまでたっても上に行けないのです。
『人のため』になるように動いて初めて、お給料が上がるのです。
つまりは、『先に給料以上の働きをしろ』ということです。
でも、それが『自分のため』ではいけないです。
残響をしないとクビになる。
残業をしないと食べていけない。
それは、『自分のため』だから、上のステップにいけないのです。
その状態では精神も圧迫されているでしょうし、疲労で頭もまわらないから大変でしょうけれど
まずは「残業をしなくても悠々生活できている自分」を想像してください。
趣味を楽しんでいる自分を想像してください。
残響をしないとクビになる。
と考えるから、残業をしないとクビになるのです。
残業をしないと食べていけない。
と考えているから、残業をしないと食べていけないのです。
あなたの願いは叶っているのです。
残業をしているのも、それで生活がカツカツなのも、現実ですが
現実だけを考えていては『願い事』は叶わないのです。
だって
『願い事』は今、現実ではないのですから。
馬車馬のように、目隠しをされて『現実』しか見ていない。
ほとんどの人はその状態です。
まずは、『目隠し』をとることを願い事にしましょう。
「一度深呼吸をしよう」と願ってください。
それが叶ったら「ちょっと休憩しよう」と願ってください。
「仕事続きで頭が破裂しそう」と考えるのではなく
「頭を休めよう」と考えてください。
「最近、寝ても疲れが取れないんだよなァ」ではなく
「寝たら疲れがスッキリとれる!」と『発言して』寝てください。
長くても三カ月ぐらいで、スッキリするようになるはずです。
肉体労働者でなければ、『スッキリしない』のは体力的疲労より
精神的疲労が大きいでしょう。
精神的疲労ならば、『言葉』で治るのです。
「体が辛いからサプリを呑んでいるよ」ではなく
「体を元気にするサプリを呑んでいるよ」と『言って』下さい。
コーヒーを飲んだら「あー、コーヒーはやっぱりすっきりするなぁっ!」と『言って』下さい。
ここまですれば、寝て疲れはとれていますし、コーヒーを飲んだらすっきりするようになっている筈です。
ちょっと、生活に余裕が出ているでしょう。
ちょっとずつ、『仕事以外』のことも考えてみましょう。
「自分が、楽しいと思うことは何かな?」と、声に出して自分に問いかけてください。
旅行するのが楽しかったなぁ。
子供の笑顔を見ると楽しかったなぁ。
恋人の姿を見るのが楽しかったなぁ。
本を読むのが楽しかったなぁ。
通勤するたびに旅行パンフレットをもらって、時間を見つけて眺めていましょう。
ここに行くなら何月だよな、休みをれたら行けるよな、電車はああいってこういって……と、『行ったとき』のことを考えましょう。
お子さんが寝ている顔を毎日除きましょう。お子さんの笑顔の写真を手帳に貼りましょう。
恋人に短いメールを送りましょう。恋人の写真を手帳に挿れましょう。
薄い本を鞄に挿れましょう。通勤電車が満員で読めないなら、ホームで立っているときに読みましょう。
少しずつ少しずつ、時間をあなたのものにしていきましょう。
少し幸せになると、もっと幸せが欲しくなります。
それが『どういう』幸せか、判るようになっていきます。
「一度、深呼吸をしよう」
そんな、『願い事』の第一歩を踏み出しましょう。
今すぐできるでしょう?
今すぐ叶うでしょう?
あなたの言葉は、叶ったでしょう?
そうして、すべてのことが、『あなたの発言の結果』であることを、知って、使ってください。
「ああ、今日もまたあの課長の下で働くのか(ウゼェ)」と朝一番に思うのではなく
「今日は机をちょっと拭いてみようかな」「電話を綺麗にしてみようかな」
「使いやすい文房具を探してみようかな」「コーヒーの変わりに緑茶を飲んでみようかな」
と考えてみてください。
「俺は会社の歯車にしかすぎない!」と発言するから
あなたは会社の歯車にしかすぎなくなるのです。
あなたが『発言』したことは叶っているのです。
それを、自覚しましょう。
あなたが「お金が無い」と発言するから
あなたはお金が足りないとつねに思うのです。
人からの誘いを断るときは
「金がないから無理」ではなく
「今日は早く帰りたいんだ」「また別の機会に誘って」と言いましょう。
疲れてもいないのに「疲れてるから無理」と言うと、本当に疲れてしまいますのでやめましょう。
「金がないから無理」というのは、言魂の他に
「お前に使う金はない」と相手を格下げに見た発言にもなるのです。
だって、他にお金を使ったから、その誘いに使うお金が無くなったのでしょう?
とくに、早くからその約束を聞いていたのでしたら、計画性の無いバカ扱いされます。
「時間がないから無理」「忙しいから無理」というのも
「お前に割く時間はない」「お前たち暇人と俺は違う」という意味にとれますのでやめましょう。
せめて「先約があるんだ」とか「どうしても今日中によみたい本があるんだ」とかにしましょう。
その時に「来週の金曜なら空けるから」と代替案を出すとベストです。もちろん、来週の金曜日の反故はナシですよ。
「○○が無いからできない」というのは、断りの中でも最低の部類です。
あなたに計画性が無いから『無い』のです。
あなたの無能力を露呈する発言なので、別の言葉で言い換えるように気をつけましょう。
「無いからできない」と言っていると、永遠に『無い』し『できない』状態が続きます。
『言葉』って、何気なく使っていますが、強力なツールなんです。
包丁で核爆弾が作れるんだ? というレベルに
想像しないほど、強力なツールとして使うことができるんです。
最強の方法で使って、最上級の幸せを入手してください。
他人を変える簡単ではありませんが
自分を変えるのは、それよりは簡単です。
良い方に、変わりましょう。
『願えば』『叶います』。
一円も必要としません。
一分も必要としません。
まず、願ってください。
そして、あなたがまず、幸せになってください。
そして、あなたが幸せを実感したら、あなたのまわりの人の幸せを願ってください。
あなたにもっと幸せが舞い込んできます。
ここまで読んでくださったあなたが今日より明日、
明日より明後日、もっと幸せになってくださることを
私は願っています。
Enjoy!&Thank you♪
2013_11_14(木) am10:49