黒幕―極道裁決 小冊子短編小説
秋のアズノベルズ、眼鏡受けキャンペーンの冊子に短編を書かせていただきました。
二本提出して、ボツの方がこちらです。
掲載許可をいただきましたので、こちらに掲載させていただきました。本編はものすごくダークです。
不快指数一〇〇%
暑い……不快指数九八%の香港。暑い街。
「うわっ……ショウっ! 大丈夫か!」
旅行に来た香港の繁華街でいきなり子供に水鉄砲かけられたっ! 隣にいたガクが僕を気づかった後、傍にいた子供の方に踏み出して怒鳴る。
『馬鹿野郎っ! ショウの眼鏡にいたづらしていーのは俺だけなんだぞっ! 何かするならカルピスもってこいっ! それなら褒めてやるからっ!』
ガクが広東語喋れるってこっちに来て初めて知ったけど。今、君、子供たちになんか変なこと言っただろ。ツアコンの人が笑ってるぞっ! もう……眼鏡がびしょびしょじゃない。眼鏡を拭きながら、子供をからかっているガクを眺めていたら。
「日本の会計士の山崎照センセイですよね?」
突然腕をつかまれて聞かれた。訛りの強い日本語。あきらかに現地の人。でも、僕は香港に知り合いいないよ。しかも人相悪い人たちがずらって……うわっ! 路地に引き込まれたっ! ガクッ! ガクがっ……あんなに遠い!
「本木岳のオンナだろ? あんた。ちょっと来てもらいましょうか」
な……なんで僕っ! 口ふさいでる手が強くて、身動きもできない。足を思いっきり蹴られて、い……痛いっ! 膝をつきそうになったのを抱えられるように立たされる。もっと路地の奥に連れてかれる。ちょっと……やだ……やだっやだっ! ガクっ!
『てめーら何してやがるっ! 組は潰れたっつったろっ! 頭で話し合いついてるはずだぞっ! 組の不始末俺にかぶせんなっ! ショウ返しやがれっ!』
叫び声と同時に、僕の後ろにいた男が吹っ飛んだ。ガクが、倒れたその男の胸から拳銃取り出して構える。僕をさらおうとしてた男達も拳銃を出した。ひー……やめてっ……こんなところで銃撃戦なんてやめてーっ! 早口の広東語で怒鳴り合ってる。なんかもう……別世界。映画ならここですかさず銃撃戦だけど、実際には簡単に撃ったりしないみたい。なんか怒鳴り合いが話し合いになって、ガクの説得に男達がしぶしぶ頷いたような雰囲気。大丈夫? 大丈夫なの? こっち来い、ってガクが手招きする。男達も離してくれたけど、さっき蹴られた足が痛くてその場に転んだ。
『ショウに何しやがったお前らっ!』
ガクが怒鳴ったのに、男達が慌てて逃げてった。た……助かったの?
「すまなかったショウ。あいつら、俺の元組の取引先の下っぱだよ。俺が取引してたんだ。組同士で話し合いついてるから、マジ無茶はしねーだろうけど」
「すでにマジに無茶されたよ」
「足やられたのか?」
前に拉致されたことを思い出して体が冷えきって震えてる。これが真剣な無茶じゃないなんて、どういう神経だよ。足も痛いけど、体が硬直して動かない。怖すぎ。
「だから……香港は来たくなかったんだ……」
僕を抱き上げながらガクが言った。
今回の旅行は、ガクが旅行旅行とうるさいから、香港なら行く、と僕が言ったんだ。
「お前さー……ショウ。いっつもこうして抱かせてくれるけど、すぐに追い出そうとするし。一緒に住もうって行っても無視するし。でも旅行行くとさー二四時間お前と一緒にいられるんだぜ? 起きたらお前、寝る時もお前。いっつも腕の中にお前がいてくれてさー……凄い気分イいんだ」
そんなこと言われたら、いつも追い出してる手前、断りにくくて。先輩がいた香港なら、って条件で来たんだよね。確かに、そのときもガクは香港嫌がってた。その時にその理由行ってくれたら来なかったのにっ! いつでも言うのが遅いんだよっ!
僕を抱きあげたまま、ガクは急いで繁華街にもどり、ツアコンの人にびったりくっついてバスまで行った。次のビクトリア湾は楽しみの一つだったのに、足が痛くてうろうろできない。ガクもぴりぴりとまわりを警戒してて、ちっとも観光気分じゃなくなった。海風がむなしい……あーゆーことされるとガクが怖くて消えたくなる。
「指紋」
突然、目の前にガクの手が現れたと思ったら、眼鏡の右側のレンズにべったり掌を押しつけた。手が離れたときには脂で右側の視界が白く曇ってる。ピキッ、とこめかみの当たりで何かが鳴った音を聞いた。
「指紋じゃないだろっ! 掌紋だろっこれっ! 馬鹿っ! 眼鏡に触るな、って何度行ったらわかるんだっ! こういうことするからっ」
嫌いなんだ! と言い掛けてくちびるを噛んだ。振り返った先では、ガクがにやにや口元は笑ってるけど、目は泣きそうになってる。
「悪かった。もう、お前を怖がらせたり、しないから。約束する」
弱々しい声。約束するって、どうなんだよそれ。今までお前がやってきたことのツケじゃないか。お前自身がが怖いんだ、って言ったら、お前どうするの?
ガクがティッシュを出してくれたのでそれで眼鏡を拭いた。まぁ……あんな問題、ガクのせいじゃないはずし。僕がさらわれたのも予想外だっただろうし。けど、躊躇なく拳銃構えたガクのあの黒い瞳が真剣すぎて怖かった。カッコイイなんて思えない。怖いよ……怖い。やっぱり一般人じゃない。
ああいう姿を見るたびに、いくら破門になったとか、組が潰れたとか言われても、違う世界の人間だと感じる。大変な人を好きになってしまったと後悔しないでもない。好きだと認めるまでも随分悩んだ。綺麗に拭いた眼鏡で額を見上げる。
「好きだよショウ。お前だけを愛してる」
まったく微笑みもせず、黒い瞳でまっすぐに告げてくるガク。まだ組員だったころ、僕を好きになって、僕を助けるために組を向こうに回して殺されそうになったガク。
僕の中の後悔を読み取られたような気がして、慌てて目をそらしてしまった。ガクが悲しそうに笑ったのだろう雰囲気が背中にわかる。海が静かに波うってた。
先輩もこの海見たんですよね。ガクったら、いまだにこうなんですけど、これってカタギなんでしょうか。僕は先輩の言いつけを守ってるんでしょうか。
僕はただ……ガクが好きなだけなのに。なんでこんなに問題が起こるんだろう。
暮れてきた海。次は食事ですよー、とツアコンの人が叫んでる。夕食の後は最後の観光、ビクトリアピークの一〇〇万ドルの夜景だけ。食事もおいしかったし、夜景も綺麗だけど、なんか釈然としない。展望台にいる人間の数が多すぎてうるさい。目の前に立ってるマンションも邪魔だっ! ツアコンの人も言ってたけどあのマンションがなかったらもっと夜景綺麗なのに。ジャッキー・チェンでも一軒家が持てない香港の巨大億ション。月の家賃が何百万円だって信じられない。というか、そんなことどうでもいーんだ。この暗闇のどこかにガクを敵視する人間がいる。それが怖い。
「ショウ、こっちに良いとこあるから来いよ」
ガクに展望台から連れ出される。ツアコンの人はあまり離れないでって言ってたけど大丈夫? ガクは僕の手をとって山肌を降りてく。真っ暗だ。展望台の壁を随分後ろにして森の中。後ろの上の方で展望台の人たちがわいわい賑やかだけど、ここには誰もいない。でも、高さが下になったのと木が邪魔なのとで、夜景は迫力が減った。
「ここの方が景色綺麗? どこが……って……ガ…………くっ! あっ!」
景色を見てた僕は、後ろからガクに抱きつかれた。首にかみつかれ、一瞬でベルトがはずされた。前と後ろに手が滑り込んでくる。後ろの手は濡れてた。後ろから前まで撫でられて膝が抜ける。胸を抱いて僕を支えた指が乳首をグリッて……うっ……
「観光はしただろ? 文句ねーよな?」
ガクの低い声が耳から中心まで駆け抜けた。
「お前が……いなくなったあの時……………………怖かった……」
ガクの体が震えてた。やっぱり、お前も怖かったんだ……
すがりつくように僕を貪っていくガク。彼がいないともう立てない僕。
暑い……不快指数九八%の香港。熱い、灼い街。
ガクといればどこでも熱い……灼い……気持、イい……
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ビクトリアピークの展望台は、本当に、展望台からちょっと離れて山肌を下ると『真っ暗』な森です。